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山村武彦からのメッセージ
私にできること
 ある時ふと思いました。自分は何のために生き、何をするべきなのか?と・・・
もしかしたら、ハエ、牛、雑草に生まれてきたかもしれないのに、折角人間に生まれてきたからには、人間でしかできないことをするべきではないかと思いました。もちろん、他の生き物もそれぞれの存在価値があります。それを認めた上で、人間しかできないこととは何かと考えました。人間は自分だけのことでなく、他の人の幸せを願い、それを手助けすることに喜びを感じることができます。ボランティア等はその好例だと思います。
 1964年6月16日、新潟地震が発生しました。たった数十秒の地震で街や生活が破壊されました。翌日新潟で見た地震災害のすさまじさに愕然としました。何も悪いことをしていない人々が突然大きな揺れに襲われて恐ろしい思いをし、その上家や家族を失い人生そのものまで壊わされてしまうのです。
 現地で少しだけボランティアの真似事をした後、調べてみますと、100人以上の死者を出す大地震に約5年に一度は襲われている世界有数の地震国だと知りました。それを感じている人は、きっといつも心のどこかで漠然とした不安を抱えているのではないかと思いました。人間にとって大切なのは命、生きる自由、安心した生活だと思います。それを奪う災害、不条理に強い憤りを感じました。そこで、私は防災・安全(安心)をキーワードにした仕事をライフワークにしようと思いました。
 私は賢人でもなく、全くの善人でもありません。失敗し人に迷惑をかけたり、ときに欲望におぼれることもある、どこにでもいる普通の人間です。だからこそ、
そんな普通の市民の視点で、防災・安全を考えていこうと思いました。難しい理論よりも、実践で役立つ具体的対策を提案しようと思いました。それには多くの文献から学ぶ事からはじめ、多くの人たちの助言を求めました。そして、大切なのは自分の眼と足で現場から、災害とは何かを学ぶことだと思いました。
 災害そのものを防ぐことはできないにしても、被害を少なくするためにどうしたらよいかをテーマに現場を見てきました。過去40年間、内外で発生した100箇所以上の災害(地震、火災、事件、事故など)現地調査から、多くの教訓を学びました。同じ時代を生きる仲間として、事前対策として今なにをしなければならないか、災害が発生したとき、応急対応、救援活動、被災者支援はなすべきかを研究し模索してきました。頻発する災害現場でいつも思うのは、人間の弱さと強さでした。そして、いかに一人一人の災害に対峙する認識が大切さでした。防災意識は災害が起きた直後だけ高まりますが、しばらくすると、すぐ忘れられてしまいます。マスコミも含め、防災意識啓発は平常時にこそ地道に継続し続けることが重要と痛感し、今後も自分を含めて安心社会構築に微力を傾注していきたいと思います。
「事後対応型国家」から「予見対策型国家」になるべき
 日本は、いつも何かが起きてから対応する「事後対応型国家」です。何かが起きると関係者はいつも「考えられない災害でした」とコメントします。しかし、それらは考えられない災害でなく、考えられるのに考えなかっただけなのです。
阪神大震災のちょうど一年前にロサンゼルスで地震があり、多くの高速道路や橋が崩壊しました。その時視察に行った日本の政府関係者は「日本の道路や橋は規格が違うから、関東大震災級の地震が来ても大丈夫」と気楽なコメントしていました。
しかし、一年後の阪神大震災では、彼らの甘い観測も、阪神高速道路、新幹線の橋脚などが、安全神話と共に一瞬にして崩れ去ったのです。そして、気楽なコメントをしていた人たちは又「考えられない災害でした」と言って、6,433人もの死者を出したにもかかわらず誰も責任を取らないのです。国も、企業も「他人に厳しく、自分に優しい」のです。希望や願望は決して権利ではないのです。
 2003年のニューヨーク大停電時もやはり「日本ではあのような大停電は起きない」とコメントしていましたが、日本でも起きる可能性があるのです。1999年茨城県東海村JCOで日本初の原子力臨界事故が発生しました。事故原因としていくつかの問題が指摘されましたが、国、関係企業、社員の安全マインドの欠如が大きな要因でした。行政、地域、企業のコスト優先、規制緩和による安全緩和、リスク軽視を許してはいけないのです。
 21世紀は「安全」がキーワードです。国際的なテロ対策も含め、これからは起こり得る災害を予め想定し、被害を少なくするための対策をとる「予見対策型国家」を目指さなければならないと思うのです。そして、責任は行政や政治家だけあるのではなく、その政治家を選び、行政任せにしてきた我々国民にも責任があると思うのです。
間違いだらけの防災常識
 阪神・淡路大震災では、津波もなかったし、火を使っている家庭も少なかった。もし、津波があったら、もし夕方の6時ころだったら、全く違った惨事に発展した可能性があるのです。一つの災害だけを教訓にしただけでは、大変な誤ちをおかす危険があります。防災対策は複眼的多角的に考えないと机上の空論になってしまいます。
 従来の防災常識は往々にして机上の空論が見受けられます。「地震だ火を消せ」「「地震だ机の下にもぐれ」などは、それぞれ間違いではないが、それがすべてではなく、状況に合わせた行動が生死を分けるのです。「あなたはどんな防災対策をしていますか」と聞くと、「ミネラルウォーターと乾パンを用意しています」という答えが返ってきます。しかし、阪神大震災で6,433人が死にましたが、水や食料がなくて死んだ人は一人もいないのです。ほとんどが建物、家具や電化製品による圧死なのです。ですから、防災対策の優先順位でいえば、まず家の安全、室内を安全空間にすることからはじめなければならないのです。防災対策はすべて事前対策です。一般論でなく、実践的でなければ自分も家族も守ることはできないのです。
阪神大震災のとき2時間後に現地で見たものは
 阪神・淡路大震災が発生した平成7年1月17日、私はその日から始まる日米都市防災会議に出席するために、前日から大阪府天王寺のホテルの8階で寝ていました。下から突き上げるような揺れで眼を覚まし、そのまま国道二号線を神戸に向かいました。災害発生二時間後には災害現地に入っていました。少しだけ救助活動を手伝いましたが、人一人救助するには多くの時間と人手が必要でした。そしてあのときほど、のこぎりやチェンソー、ジャッキーなどの救助用機材が欲しいと思ったことはありませんでした。近くではガス爆発があり火災はあちこちで燃えていました。消防隊が駆けつけても消火栓が破壊され水が出ない。消防隊もさぞ無念だったと思います。その時見たことを、後世に語り継いでいこうと思いました。その時、使い捨てカメラで撮った写真や過去の災害のスライドを見ていただきながら、全国で600回以上の防災講演を行ってきました。その主なテーマは実践的な防災対策、危機管理対策です。
大規模地震対策が危機管理に共通するセルフディフェンスの基本
 テロ、事件、事故、台風、地震など社会の安全を損なう災害に対応する防災対策は、大規模地震対策が基本だと思います。大地震対策をしておけば、火災、がけ崩れ、爆発、水害などにも対応できるからです。
 今までは、災害が発生したら、行政が何とかしてくれるだろうと思っている人が多かったと思います。しかし、大災害時は行政も一時的に被災者となるのです。行政だけに頼るのではなく、行政とともに自分や家族は自分で守り、地域や職場は自分たちで守るセルフディフェンスが大切だと思います。
 「○月○日地震が発生する」などと言う人が居ますが、地震発生の日時や場所を確実に特定できるほど、残念ながら地震予知学は進んでいません。将来に向かって予知研究は大切ですが、今は市民の防災意識を高め、いつどこで地震が突発的に発生しても良いように準備をすることのほうが重要です。
災害列島に住む作法
 現代社会に限らず、いつの世にも人と社会は常に問題を抱えています。環境、健康、防災そうした課題に共通するキーワードは安全であり、「安心」です。その対極にあるのがテロ、戦争、災害、事件、事故などの「危険」であり「不安」です。特に日本は災害列島です。地震だけ例にとっても、世界でたった0.3%の国土にもかかわらず、世界で起きる大地震(M6以上)の20.9%が発生する世界有数の地震国です。台風災害、工場災害を含め災害による被害額でも常に世界のトップにある災害列島なのです。そうした災害列島に住むには、そこに住む作法があるのです。
 私は防災対策をライフワークとして、自分の仕事を通じて社会の不安を払拭し「安全・安心社会の構築」に努力すること、それに一歩でも近づく社会にすることを自分の使命(MISSION)と考えています。そして、これからも講演やHPを通じて、安全・安心社会へのプロセスやノウハウを社会に発信し続けようと思います。
 それは、人間にとって幸せなこと、一番大切なことは「自由」と「平和」だと思っているからです。「自由」と「平和」を冒す圧政や戦争などは、ある程度人々の努力で回避することはできます。しかし、避けることができない大地震など天変地異の前に、人はあまりにも無力です。そして、罪もない人々の生命財産はおろか、長年積み重ねてきた文化、小さな幸福、人間の尊厳すら、一瞬にして情け容赦なく奪い去ってしまいます。そうした理不尽な災害に対して、あきらめたり、逃げたりするのではなく、準備をして立ち向かっていく「防災文化」を構築する必要があるのです。それが、災害列島に住む作法だと思っています。
災害現地にはドラマがある
 宗教、政治信条、皮膚の色が少しくらい違っても、同じ時代に同じ地球に住んで生きている仲間たち、そう考えてみると、なぜか皆、とてもいとおしく思えるのです、かけがえのない存在に思えるのです。世界各地の災害現場で助け合い、いたわりあう人たちをたくさん見てきました。どこの被災地にも共通しているのは、相手を思いやる気持ちでした。慰め、励まし、悲しみを分け合う優しさがあふれていました。敵対している国が被災した敵国の人々へたくさんの救援物資を送り、一時的にせよ人間性を存分に発揮する姿はある意味で感動的ですらあります。
 昔のことわざに「喜び事は招待されたら行け、悲しみ事は呼ばれなくても行け」という言葉があります。世の中はそれほどきれい事だけではなく、悪人もたくさんいます。災害後時間がたつにつれ、被災者をだます火事場泥棒のような人たちも少しはいます。それでも、災害に襲われた直後の極限状態の時、誰でも人は不埒な欲望を忘れ、善人の顔を見せるのです。人は人をそのときだけは信じることが出来るのです。そういうとき私はとっても嬉しくなります、人間の本質は善なのだと・・・
私の力は小さく、まだまだ未熟です。しかし、人々の「安心」に少しでもお役に立てることができれば、それで十分だと思っています。これからも切磋琢磨してまいる所存ですので、ご指導ご教示をよろしくお願い申し上げます。
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