2024年台湾東部沖地震令和6年能登半島地震防災システム研究所HP東日本大震災現地調査写真レポート
 
2018年台湾東部地震(花蓮地震)/現地調査写真レポート(速報)
文・写真/山村武彦

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、物心共に多大な支援をしてくださった台湾
衝撃と悲しみに打ちひしがれたあの時、国を挙げての励ましに私たちは勇気をもらい励まされた
その台湾で春節(旧正月・2月16日)10日前の深夜、直下地震が発生し観光客を含む17人が犠牲となった
犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、ご家族と被災者に心よりお見舞い申し上げます
がんばれ台湾、がんばれ花蓮(加油!台湾、加油!花蓮)

花蓮にご加護を



2018年2月6日午後23時50分42.6秒(日本時間2月7日0時50分)、台湾東部花蓮市近海(東方沖18㎞・北24.14度、東経121.69度)を震源とするマグニチュード6.4、震源の深さ10.6㎞(USGS)で地震が発生。花蓮中心部で震度7の強い揺れで断層近くの建物が倒壊した。


ほぼ45度に傾いた漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼
 花蓮駅から徒歩15分の美崙川沿いにあるこのビルは1階は阿官火鍋というチェーンしゃぶしゃぶ店、2階がホテル(民宿)、3階以上が分譲マンションという複合用途ビルで、築24年の12階建て鉄筋コンクリート造り。今回の地震で1階~2階が崩れビル全体が傾いた。その結果このビルで確認された遺体は15名。そのうち、8人が中国旅行客だった。2階部分では中国旅行客とみられる1人の遺体が目視で確認されており、行方不明者1名も中国旅行客の家族とみられている。統帥飯店で犠牲となった1名と合わせ、13日現在の人的被害は死者16名、行方不明者1名、負傷者285名。
 県長によると、残る1名は大きな梁(はり)の下敷きになっており、掘削作業を進めるとビルが完全に倒壊する恐れがある。捜索はいったん11日で打ち切り、専門家と相談して重機でビルの取り壊しを進めながら不明者の捜索するとしている。

 漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼は1994年竣工のため、新耐震基準(1999年以降)の対象外であった。。建設当時1階は画廊、2階はオフィス、3階以上は分譲住宅であった。その後2002年に1階が画廊からチェーン店の阿官火鍋(しゃぶしゃぶ)に改装され、2階はオフィスから民宿へと用途と内装が変更されている。この1階と2階のオーナーは夫婦で、請け負った建設会社の社長はすでに亡くなっており、会社も存在していない。
 花蓮市は観光人気スポットとして賑わうまちである。とくに台湾では中国人などの観光客が急増し各地で宿泊施設が不足したため、政府は民泊(民宿化)を奨励し、花蓮でも駅に近いビルや住宅が民宿に模様替えした。その一つが今回の地震で最も多くの犠牲者を出した漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼であった。
 捜索の妨げにならないよう地震発生から6日過ぎ(2月12日)に現地に入った。現場では夜を徹して花蓮市消防局のはしご車を使い、土木関係の専門家と検察庁立ち合いでビル構造物のサンプル採取が行われていた。


↑雲門翠堤大楼の入り口付近


 花蓮市で土木業を営む傍ら20年以上も災害救援活動を行ってきた友人の 顔(がん)勝裕氏(左)。顔さんは今回の地震直後から統帥大飯店や漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼に駆け付け救助活動を行った。右側の劉 燕湖 花蓮縣建築公會理事長は「旧耐震基準と既存建築物に対する遡及適用、耐震診断、耐震補強などが課題」と語っていた。

漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼で救出活動をする顔さん(画像提供:顔 勝裕氏)


余震が続く中、漂亮生活會舘飯店・雲門翠堤大楼での困難な捜索救出活動
(画像提供:顔 勝裕氏)
状況説明を受ける、先進捜索機材を持って駆け付けた日本の専門家チーム
(画像提供:顔 勝裕氏)

地元の建築の専門家に台湾の耐震基準と被災ビルの状況について話を伺った
花蓮県建築士協会温天相理事(左)と黄銘斌副理事長(右)は、今後の調査で判明すると思うがと前置きし、倒壊ビルの推定共通事項として、断層の真上、旧耐震基準、重い構造物、地盤(元河川?)、基礎などの脆弱性などをあげた。

 
出典:中央氣象局 

 台湾の耐震基準は1999年(集集地震)後、大幅に強化された。1999年前の基準は230gal、1999年以降330galに耐える構造に改正された。しかし、今回の地震で観測された加速度は南北方向397.36gal、東西方向434.33galであった。倒壊ビルはすべて米崙断層の上に位置し、局所的に激しい揺れが襲ったと推定されている。
 この地震の2日前、2月4日21時56分(日本時間22時56分ごろ)ごろ北緯24.157、東経121.708、震源の深さ12㎞でM6.1の地震(USGS)があり、花蓮で震度6の揺れが観測された。そのときは市内で一部で道路の亀裂などがあったものの、建物被害は比較的少なく死傷者もでていない。そのとき、氣象局はその地震が本震と考えていたようで、今後余震に注意するよう呼び掛けていた。結果としてその2日後の地震が本震で、4日の地震は前震とされたのは、熊本地震の経緯と酷似している。2016年熊本地震では4月14日の地震後「今後一週間程度震度6弱程度の余震に注意」とし、4月16日には余震ではなく本震とされる震度7の地震が発生し多くの死傷者を出した。
 今後地震発生時は、こうした連続地震への警戒を怠らないようにすることと、連続地震によって建物に与えるダメージと耐震基準の研究が重要となっている。

重量のあるビル4棟倒壊、周辺建物にはほとんど被害が出ていない

大きな被害を受けた花蓮県は、台湾東部中央部に位置し、南北137.5Km、東西寬約43Km、西は台湾中央山脈、東を太平洋に面している。
面積は同国の県の中で最大であるが、大部分を山岳地帯が占め、平地は僅か7%でしかない。人口(333,240 人)の大部分が集中する平地は海岸に向かって沖積扇地形が形成されており、この地域は花東縦谷とも称されている。花蓮県東岸の東岸山脈は400万年前という比較的新しい時代に形成され、標高は高くなく東岸山脈の最高標高1,682m。これに対して中央山脈では3,000mを越す山脈が続き、南湖大山、奇萊山、秀姑巒山など台湾島を代表する山岳が連なっている。
今回の地震の原因とされる断層は、沖合から海岸線に弧を描くように展開し海に抜ける米崙断層(Meilun Fault・長さ約8キロ)である。1951年に85人が死亡する連続地震を引き起こした断層の一つだ。雲門翠堤大楼や、倒壊した「統帥大飯店」(地上11階、地下1階)など4棟はいずれも同断層付近にある。台湾の中央地質調査所は「今回の地震は恐らく米崙断層の活動と関係がある」との見方を示している。
上図は日本の国土地理院が地震後に地球観測衛星「だいち2号」(ALOS-2)に搭載された合成開口レーダー(PALSAR-2)のデータを使用してSAR干渉解析を行ったもの。花蓮市の中心部を通る米崙断層(Meilun Fault)に沿って変異の不連続が見られる。

統帥大飯店の場合
 
地上11階・地下1階の統帥大飯店は築40年の古い建物、1999年の建築基準法改正(耐震基準)後、2002年に上記のような耐震補強工事を行っていたというが・・・

 倒壊した統帥大飯店(画像提供:顔 勝裕氏)
 統帥大飯店はレストランのあった1階~3階までが崩壊、4階客室の窓にはしごをかけ、顔さんたちは日本人宿泊客などを救出した。このホテルではフロント係の社員1名が犠牲になった。4階から救出された日本人観光客などは荷物と共に他のホテルへ移送された。 
地震発生10分後に駆け付け自社の重機で救助活動を開始した顔さん(画像提供:顔勝裕氏)

救助活動は困難を極めた


春節(2月16日)前までに統帥大飯店の解体を終わらせようと夜を徹して作業が続く
そのの解体作業を見守る市民たち

死傷者を出した統帥大飯店のあまりにも早いビル解体に市民からは証拠隠滅ではの声も
解体動画




傾いたマンションも解体が始まっていた





直後から医師会・薬剤師会が避難者の健康相談を受け付けている
傾いたビルの住人など家を失った人たちなど約700人が一時体育館などに避難した。花蓮市はホテルや空き家などをあっせんし、春節前日までに避難所は閉鎖された。
佛教慈済基金會が寄贈した折り畳み簡易ベッドが好評


男性用、女性専用もある

仮設の風呂

全国から寄せられた救援物資

避難所前では様々な団体が被災者支援を行っていた

佛教慈済基金會のテント
佛教慈済基金会は地震直後に慈済會本部内に救援センターを設置し活動を開始

佛教慈済基金会発祥の地は花蓮にあった
 「花蓮の導師」「台湾のマザーテレサ」と敬愛される釈証厳氏が法華経を読誦した小屋(慈済発祥の地)
東日本大震災時の支援に感謝するために訪問した佛教慈済會本部・静思堂
 「慈済基金會」(じさい ききんかい)の正式名称は財団法人 中華民国佛教慈済慈善事業基金會。1966年に台湾花蓮縣で「佛教克難慈済功徳會」として設立された尼僧の釈証厳氏が主導した慈善団体。事業運営にあたっては民族、宗教、国籍を問わず他の宗教を貶めることはしない。国際救援活動に際しては「政治、商売の話は一切しない」「会の宣伝をしない」「仏教を広めない」ことを規則としている。慈済會会員は毎月最低百元(約380円)を寄付する。寄付の上限はなく何万元と寄付する人もいれば利益の1割を寄付する起業家もいる。
 こうした会員は世界全体で約1000万人以上といわれる。寄付するとき慈善事業、教育、人文、国際震災のどの分野に使用してほしいか指定することもできる。また、慈済委員がボランティアで被災地を訪問するときやボランティア活動をするときの交通費、宿泊費、食事代などの一切の経費はすべて委員自身の自己負担であり委員に対する報酬もない。この点が他の慈善団体のシステムと大きく異なるように思われる。
 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。24時間体制の慈済本部に緊急対策本部が設置されたのは地震発生45分後の15時30分頃だった。すぐに新宿にある東京本部とインターネット会議で連絡を取り合い、大規模な広域災害であることを確認する。3月14日午前9時15分、慈済本部から最初の救援物資として毛布5000枚、インスタントご飯400個、ナッツ100袋が台北松山空港から羽田空港に向かった。そして、世界中の会員に募金活動の呼掛けが行われ、世界中で募金活動が開始される。
 慈済會の特徴は義援金は仲介者を通さず、直接被災者に渡すこととなっていることである。被害の大きさから本部では、配布するとしたら義援金は総額約20億元(約80億円)、ボランティアが200人以上は必要と試算された。日本の委員を総動員しても100人なので、100人以上が台湾から派遣することになった。
 しかし、当初は直接被災者に現金を渡すことに自治体などから強い難色が示され、すぐには配布することができなかった。それでも粘り強く交渉し許可を受けることができた。そして、2011年6月9日から東日本大震災被災者への義援金配布が始まる。最初に選ばれたのは釜石市と陸前高田市の約8,000世帯。配布は世帯人数に合わせて3種類とされた。封筒には「災害見舞金」と書かれ、1人暮らしなら3万円、2人〜3人世帯には5万円、4人以上の世帯は7万円。義援金配布はすべて市役所からの被災者名簿に基づいて行われた。
 義援金を受け取った被災者と委員との交流エリアも設けられ、そこには台湾から届けられた有機栽培のウーロン茶やはちみつ風味の緑茶と台湾の小学生が作った千羽鶴やお見舞いと励ましカードも用意された。交流エリアのテーブル15卓、椅子80脚に義援金を受け取った被災者たちが大勢立ち寄った。「大変でしたね」の委員の言葉にもはじめは口を閉ざしていたひとたち。一言二言言葉を交わすうち涙ながらに堰を切ったように話し始めた。「避難してから戻ったら、家がないんだ」「カミさんも、子供二人も死んで一人ぼっちになってしまった。どうやって生きていけばいいんだろう」震災後、じっと我慢してきた辛さや哀しさを一気に吐き出した。そばに一緒に泣きながら聴く委員たちがいた。私は被災地を回って、一緒に泣いてくれる人がいたことが嬉しかった、荒んだ心がずいぶん安らいだと聞いていた。2012年3月までの1年間、26の市町村で被災者に直接配布された義援金は20億4千5百万元(約81億円)に上る。そのほか約1億7千万円分の物資も配給されている。 
 今回台湾花蓮で地震発生の報を受けたとき、あの時のお返しに何ができるか現場を見ようと思った。被害の規模は比較的小さかったが、局所的には甚大被害であった。その状況をありのままに日本国内に伝えるとともに、感謝の気持ちを伝えるため帰国前日に花蓮の慈済會本部を訪問した。感謝の意を表すと「困っている人を助けることが私たちの喜びです」の言葉と笑顔が返ってきた。
 佛教慈済基金会だけでなく、テレビや街頭で「日本を助けよう」国を挙げての呼びかけが津々浦々まで行きわたり、一般市民などからの義援金は200億円を超えた。広域複合大災害という未曽有の国難の時、いち早く世界最大の支援をしてくれた台湾の人たちのことを我々日本人は決して忘れてはならない。

「2階にトイレあります」「飲み水とお湯もあります」
近くで助け合う「近助」が実践されていた

台湾の有名電機メーカーが費用を出し、近隣水道事業所の飲料タンク車出動を依頼

近くで被災していない飲食店などに寄付を送り、被災者や救援隊への食糧を供給してもらっている
寄付した人の名前で「ご自由にどうぞ」の張り紙/「近助」と「遠助」

相官邸は8日、2018年2月6日夜に発生した台湾花蓮地震で多数の被害が出た台湾に向けて「全力を尽くして支援を行っていく」とのメッセージをフェイスブックに掲載した。安倍晋三首相直筆の「台湾加油(台湾頑張れの意)」の文字が添えられており、中国・観察者網は台湾メディアがこれを評価したことを伝えている。
メッセージは地震被害に遭った人々に見舞いの意を伝えるなどした上で、東日本大震災で日本が台湾から受けた支援への謝意を表明。最後は「日本政府として全力を尽くして支援を行ってまいります」という言葉で締めくくられており、これに添えられたのが、毛筆で書かれた「台湾加油」(台湾頑張れ)。台湾・中央社は「安倍首相が就任後、初めて『直筆の書』という形で台湾にエールを送った。しかも一目瞭然だ」と評価。また、中華圏のネットユーザーからは「日本の思いやりに感謝します」「安倍首相はかっこいいし、文字もきれい」「ありがとう日本!」などのコメントが寄せられていた。(livedoor newsより)

生命反応を探知する高性能の器材を携行し2月8日に現地入りした日本の専門家チームは一段落したと判断し10 日に撤収を開始。災害現場からの撤収を前に損壊ビルに向かい黙とうを捧げる隊員たち。
不明者の捜索支援に当たっていた日本の専門家チーム8人の団長を務めた外務省の原田優・儀典調整官は「残念ながら生存者を救い出せなかったが、(日台の)救助者同士の連帯を感じられた」と語った。

救出救助の指揮を執った花蓮縣消防局・林文瑞局長
日本からの心のこもったお見舞いの言葉と、駆けつけてくれた専門家チームに感謝していると語る

花蓮縣消防局には市民たちから激励の物資が多数届いている

旧遠東百貨店はレッドカードが貼られていたが、新しい百貨店はいつも通り営業している

地震直後、ビルごとに安全点検が行われた

旅行者にも緊急情報が送られる

今回の地震による被災地域は花蓮縣の0.5%に満たない、99.5%は平常通り
電気、水道、通信、ガスなどのインフラも完全に復旧している


 春節の10日前に発生した地震、新年の飾りは例年より幾分控えめ


春節前は多くの人であふれる市場も今年はいつもより人が少ないという

花蓮の小籠包と雲吞(わんたん)は絶品

小籠包一籠約200円

阿里山ウーロン茶の老舗「全祥茶荘」は、地震の揺れで茶器(茶壺)が散乱したが今は元気に営業中
花蓮市中山路160號/(創立1949年)

 今回の地震規模は比較的小さく、一部被害は激しいものの全体としては局所的。しかし、花蓮大被害と伝えられたため、ホテルなどはキャンセル続出に泣いている。友人は台北からの高速電車がガラガラだったと嘆く。もし応援するのであれば、風光明媚で食べ物が安くてうまい花蓮や台湾に観光に行く事ではなかろうか!「喜びごとは招かれたら行けばいいが、哀しみごとは招かれずとも早く行け」加油 台湾! 加油 花蓮!(がんばれ台湾、がんばれ花蓮)

 
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