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東日本大震災(2011年東北地方太平洋沖地震)/現地調査・写真リポート(レポート)(撮影・文:山村武彦

犠牲者のご冥福をお祈り申し上げ、ご家族・被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区:2011年3月18日

自衛隊員による懸命の捜索活動(東松島市野蒜(のびる)地区・2011年3月)

東松島市野蒜地区(2011年3月撮影)

ビルも津波で倒され流された(宮城県女川町・2011年3月撮影)

宮城県女川消防署(2011年3月撮影)

宮城県女川町・流されたJR仙石線電車と線路(2011年3月撮影)

上・ 昨年(2010年2月)撮影した女川駅
下・今年(2011年3月)撮影した女川駅
東日本大震災後(2011年3月)撮影した女川駅

宮城県女川町役場(2011年3月撮影)
(東日本大震災では公共施設や地方自治体庁舎が被災し、多くの住民と自治体職員が犠牲になった)

宮城県南三陸町

上、昨年(2010年2月)撮影・宮城県南三陸町防災対策庁舎
(前年、夜遅くまで筆者と話した三浦 毅危機管理課長補佐は、この庁舎で津波により殉職)
下、今年(2011年3月)撮影・宮城県南三陸町防災対策庁舎
南三陸町防災対策庁舎で町職員と住民あわせて41人が犠牲になったとされる
(佐藤町長は津波後行方不明と伝えられたが、翌日屋上で無事が確認された)
南三陸町長は手書きの名刺をコピーして使用していた

上、昨年(2010年3月)撮影した南三陸町防災対策庁舎前のチリ地震津波水位標識
下、今年(2011年3月)撮影した南三陸町防災対策庁舎前のチリ地震津波水位標識
南三陸町防災対策庁舎前のチリ地震津波水位(1960年・2.4m)標識
直近津波水位標識がこの町にはたくさん設置されていた。それが「経験の逆機能」となった可能性も

東日本大震災の前年に筆者が撮影した宮城県南三陸町・津波避難ビル(上図・2010年2月撮影)
(上は昨年(2010)、チリ地震(1960・50周年目)津波災害の痕跡を訪ねたときの写真
東日本大震災一週間後に撮影した宮城県南三陸町・津波避難ビル(下図・2011年3月撮影))
海岸近くの津波避難ビル(南三陸町志津川地区・2010年3月撮影)
4階の屋上に避難した50人は腰まで水に浸かりながらも助かったという

上、昨年(2010年2月)に撮影した南三陸町・八幡川防潮水門
下、今年(2011年3月)に撮影した南三陸町・八幡川防潮水門
南三陸町・八幡川防潮水門とチリ地震津波(1960年)水位(2.6m)標識(2011年3月撮影)

宮城県南三陸町・公立志津川病院(左側が西棟(5階建て)・右側が東棟(4階建て)/2011年3月撮影
海岸からの距離わずが400mの平地に建つ病院は4階天井まで津波で浸水
入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、看護師・看護助手計3人も津波の犠牲になった
また、西棟5階会議室に避難した患者のうち酸素不足、低体温症などで7人が次々に息を引き取った
残った人たちは翌12日〜13日に屋上から自衛隊機などで救出された

南三陸町公立志津川病院の前に、チリ地震津波災害(1960年)の津波水位(2.8m)標識があった
南三陸町志津川病院・東棟(2011年3月撮影)

宮古市田老地区・港近くの崖にあった津波水位標識・上が明治三陸地震(津波15m)、下が昭和三陸津波(10m)
筆者を写したこの写真は、昨年(2010年)撮影。東日本大震災で田老には18mの津波が襲来
下の写真は昨年(2010年)に撮った上の写真の遠景、中央に見えるのが津波水位標識
下の写真は今年(2011年)に撮った田老港、中央に見えるのが津波水位標識
堤防の海側、そして田老港の周囲は全て跡形もなく流されていた

岩手県宮古市田老地区(2011年3月撮影)夜来の雪がうっすら積もった被災地/田老堤防は壊れなかった
上部に見える田老堤防・津波の衝撃をやわらげ、住民が避難する時間を稼ぐという使命を果たした
津波堤防が壊れなかったため、いっぺんに水が引かず多くの人が助けられた
東日本大震災写真レポート・田老・田野畑村・普代村編

昨年(2010年)に撮影した宮古市田老の堤防

岩手県宮古市内(2011年3月)

陸前高田まで6キロメートル地点、気仙川を津波が遡上した



上、昨年(2010年2月)撮影した大船渡市・チリ地震津波水位標識
下、今年(2011年3月)撮影した大船渡市・チリ地震津波水位標識 
昨年の写真にあった郵便局、住宅、商店は津波で流されていた

宮城県多賀城市:2011年3月18日

「午後2時48分で止まった時計」東松山市JR野蒜(のびる)駅/2011年3月19日 


 山村武彦の津波・洪水 防災三か条
1、「グラッときたら、津波警報!津波・洪水逃げるが勝ち!
 
地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って1秒でも早く、1mでも高い高台に避難することです。誰かに言われて避難するのではなく、防災訓練と思って自分が最初の逃げる人になるつもりで避難を開始してください。
 津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」「津波や洪水は逃げるが勝ち」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。地震後、大声で「津波が来るぞー、早く逃げろー」と大声を上げながら駆け足で逃げてください。人は誰かが逃げるとつられて逃げるものです。あなたの声が「津波警報なのです」
2、
「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」
 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「ここは過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。防災訓練と思って声を上げながら、駆け足で避難してください。

3、「健常者は車は使わず・遠くより、高く、一度避難したら戻らない」
 
「津波は高台へ逃げるが勝ち」、しかし海岸付近にいて、高台まで避難できそうもないときは、ビルの4階以上に避難させてもらうことです。地域によっては海岸線にあるビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。車で避難するのは条件付きで危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき、奥尻島では車で避難しようとした人たちが続出し、狭い道路が渋滞しているときに津波に襲われ、車ごと津波に飲み込まれ多くの犠牲者を出しました。(しかし、高齢者や障害者は短時間に高台に避難するには車しかありません。ですから健常者は極力駆け足で避難して要援護者の車が渋滞しないように心掛けてほしいと思います)。いったん避難
したら、第1波が小さかったからといって自宅へ戻ったりしないことです。津波は繰り返し襲ってきます。警報が解除されるまでは「念のため避難」を続けましょう。

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