ハリケーン・カトリーナ災害1周年・ニューオリンズ現地調査報告
あれから1年
 死者1,695人、行方不明者135人の犠牲者を出したハリケーン・カトリーナ災害から1年、2006年8月20日、私はニューオリンズを訪れた。一部では浸水住宅の高床式改造工事を行い、もう一度同じ場所で暮らそうと努力している人たちもいる。しかし、災害前48万人だった人口は現在22万人に激減、約55%以上の住民は戻らず浸水家屋が放置されたままの地域が大半を占めている。
 ニューオリンズ市は、8月29日までに戻らなければ(あるいは戻る意思を示さなければ)浸水地域の住宅を強制撤去すると発表していたが、きちんと説明責任を果たさない行政に市民の不信感は増大している。その根底には、水害に至らしめた脆弱堤防を放置した当局の責任、補償問題などが明確にされていないこと、復興計画、都市計画が未だに提示されていないこと等が大きな要因と思われる。
 ゴーストタウンと化した住宅街、基礎コンクリートだけ残し一面雑草が覆う町、漂着したとおぼしきドラム缶や冷蔵庫が屋根に放置されたままの家。それらが今のニューオリンズの状況を象徴しているように見えた。
 崩壊した堤防の復旧工事や新たな水門取り付け工事が一部で進められているものの、ハリケーンシーズンに入ろうというのに未だ完成に至っていない。そして崩壊した運河の堤防は、カテゴリー3にしか耐えられないまま、再発防止や根本的な安全対策が置き去りにされている。もし、また大型ハリケーンや高潮が襲来したら、再び洪水災害発生の危険性が懸念されている。

途上国以下の復興スピードと行政不信
 進まない復興計画、にもかかわらず市職員の大量解雇、家賃40%高騰を放置する非常時における行政指導の欠落、情報公開どころか情報秘匿に走る関係機関。市民に高まる怠慢行政に対する強い不信と怒り。私は40年間にわたって世界中の被災地を見てきたが、この復興スピードと行政対応は途上国以下と言っても過言ではない。アメリカでも他の地域では迅速復興の実績を多数見てきた。貧困層の多いアフリカ系アメリカンが7割を占めるここニューオリンズだけの例外事例なのかもしれない。世界一の経済力、自由と民主主義の旗手を自認するアメリカの一端(陰)を垣間見た気がする。住民が戻らないのはニューオリンズの重要産業である観光産業へのダメージがある。観光客が戻らないかぎりビジネス復興はなく、戻りたいと思っても戻る仕事がないというのが実情である。ハリケーン・カトリーナが残した爪痕の深さと、露呈した哀しい現実は想像以上に深刻に思えた。
地球温暖化・異常気象時代、対岸の火事ではない
 日本にもゼロメートル地帯を抱える大都市が多数ある。今のニューオリンズを対岸の火事とせず、様々な角度から調査し教訓を学び、心して将来の災害に備えるときなのである。そして、我々が持っている防災に関わるノウハウを積極的にニューオリンズに開示し、提供すべきと思う。
首相のメンフィス訪問とニューオリンズ支援
 2ヶ月前の6月30日、ニューオリンズから飛行機で約1時間のメンフィスを小泉首相が訪れた。折角メンフィスに行くのであれば、指呼の距離にあるニューオリンズ(被災地)を訪問して欲しかった。邦人被災者やトレーラーハウスで不自由な生活をしている人たちを見舞い、励ますべきだった。郵政民営化など小泉首相の行財政改革はアメリカでも高く評価されている。その上、ニューオリンズまで足を伸ばしていたら更に好感度が上がったに違いない。それなのに、プレスリーの私邸があるグレイスランドではしゃぎすぎ、ブッシュ大統領にたしなめられるシーンがニュースとなった。  
 関東大震災や阪神・淡路大震災で、多くのアメリカ人が救援物資や義捐金を贈ってくれた。首相に今それに応える絶好の機会と、進言する側近や官僚はいなかったのだろうか。猛省すべきはニューオリンズ行政当局だけではない。
 イラクに自衛隊を派遣するだけでなく、災害にあえぐ市民の苦しみを共有し痛みを分かち合うことこそ真の日米同盟ではないのか。今、我々にできることは、フレンチクォーターなど無傷のニューオリンズへ、ジャズ、歴史、美味しいシーフードを楽しみに行ってあげることではないか、それが同じ時代を生きる者として最善の支援になると私は思う。
防災システム研究所/山村武彦

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私の後ろに見えるのはFEMAが運営するトレーラーハウス・プール(日本の仮設住宅にあたる)

水没した家々に住人は戻っていない

1年経ってもガラスが割れたままのホテル

ドアや窓の横に書かれた×印は、軍隊が捜索した印(チェックした月日、死者の有無などを示す)

1年経った今も仮設トイレを設置しなければならないほどインフラ復旧が進んでいない

一部の地域では高床改造工事を進めている(かさ上げしないと保険がかけられない)

崩壊した運河の復旧工事や水門工事はまだ完成していない、今またハリケーン(高潮)が襲えば再び災害に発展する危険がある

運河より低いところに住宅があり、守っているのは塀のような堤防(カテゴリー3にしか耐えられない)

「戦争やめて堤防直せ」と書かれたTシャツ(10$)

FEMA(米国連邦緊急事態庁)に対する不信。Tシャツに「くそったれ!」(9$)
 
ニューオリンズの中心フレンチクォーターに浸水被害はなく、バーボンストリートには今もストリートミュージシャンのジャズが切なく流れる

テネシー・ウィリアムズはこの町で名作「欲望という名の電車」A Streetcar Named Desireを書いた
その脚本と「熱いトタン屋根の猫」
Cat On a Hot Tin Roof で、彼は1948年と1955年にピューリツァー賞を受賞する
テネシー・ウィリアムズは同性愛者だったといわれるが1983年、ニューヨークのホテルでボトル・キャップを喉に詰まらせ死亡した
彼の近しい人たちは、皆それを誰かに殺害されたものと信じている。著名な劇作家の死は深い謎に包まれている
ニューオリンズの中心街をその電車(欲望)は今も走っている


ウォルマート店内にはランタンや懐中電灯など非常用品のスペースが増えた

 世界でただ一人「女性ハリケーンガイド」のローボック美貴さん。「地球の歩き方・アメリカ南部編」にも彼女の原稿が掲載されている。美貴さんはミュージシャンのご主人と息子さんの三人でニューオリンズで暮らしていた。
 幸いハリケーンカトリーナの襲来前日に避難し、危機一髪で一家は難を逃れた。しかし、せっかく手に入れた家は水没し、ご両親の家も浸水してしまった。今は避難生活を余儀なくされている。しかし、アメリカで一番歴史のあるこの町、ニューオリンズをこよなく愛しているという美貴さんは、ハリケーン前のように観光客が戻ってくることを信じて今日もがんばっている。(左は美貴さん一家)
 そのほか、日本食レストランも日本人観光客が激減し厳しい試練にさらされている。しかし、ほとんどの日本人は逃げずにこの町に留まって必死で困難と戦っているという。
 ニューオリンズの治安は良く、カジノも町の中心地で休まず営業しているし、ジャズと音楽のメッカ・バーボンストリートにブルースやコンテンポラリージャズが流れ、みやげ物屋や気持ちの良いホテルも健在。
 もし、ニューオリンズを応援する気持ちが少しでもあるのなら、今こそニューオリンズに行くべきである。豊かなシーフード料理を楽しみ、古きよきアメリカを堪能することができる。ゆったり流れる南部の時間と四次元の世界に身を委ね、ミシシッピー川を蒸気船でさかのぼるのもよし、ディキシーランドジャズの調べに酔いしれるのも、素敵で一石二鳥の応援である。
 観光、ハリケーン調査、ボランティア、会議にしても、もし、ニューオリンズに行くのなら、まず三日月コネクションのローボック美貴さんに相談しなければ旅は始まらない。彼女の知的なガイドで数倍ニューオリンズが楽しめること請け合いである。私も今後、ニューオリンズ早期復興応援に微力を尽したいと考えているが、とりあえず、心からの敬意をこめてニューオリンズにエールを贈りたい。
がんばれ!ニューオリンズ!・HOLD HAND THERE NEW ORLEANS!

防災アドバイザー山村武彦