イラク日本人人質事件

  
誘拐事件発生
 2004年4月8日午後4時、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」が流した誘拐犯からのビデオ。自動小銃、ナイフ、対戦車ロケット砲を構えた男らが後ろにいて、薄暗い部屋で、三人がひざまずいた姿で監禁されている様子や、パスポート、身分証明書類、声明文の拡大映像を映し出した。

 
三人は1週間後に解放
 2004年4月15日夜、拘束されていた日本人三人解放を伝えるアルジャジーラテレビ。3人はイラクイスラム聖職者協会の仲介で1週間ぶりに解放された。3人は比較的元気そうでバクダッドの日本大使館へ移送され、ドバイ経由で4月18日に日本(関西空港)に帰国。
イラクイスラム聖職者協会のムハンマド・ファイジ師は解放後、記者会見し、人質だった3人が「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」との署名がある武装グループの声明文を、解放された三人と協会がそれぞれ受け取っていたことを明らかにした。
声明は、人質事件が明らかになった後、日本人が自衛隊の撤退を求めるデモを行ったり、アラーの神を称賛してくれたりしたことを評価し、この日本人の態度に共感して決断したと主張。引き続き自衛隊やその他の外国軍の撤退に向けて日本政府に圧力をかけることなどを求めている。さらに「あなたたちは米国による最初のテロであるヒロシマ、ナガサキの被害者である。我々はそのような国の人々に対し、我々の国から撤退することを求める。さもなければ今後は容赦しない」としている。
日本政府の対応は一貫し評価できる。しかし、政府に三人を批判する資格はあるのだろうか?
事件発生から解放にいたる日本政府の対応は、終始一貫した評価すべきものであった。脅迫に屈しての自衛隊撤退はない。人質の早期救出。今回仮に人質が犠牲になっていたとしても、国家としての対応はそれ以外に無かったものと思われる。
しかし、解放直後の三人が、状況もわからず疲労困憊と恐怖の残る状況での「今後もイラクで活動したい」発言に、政府首脳らがいっせいに不快感を示したのはいかがなものか。それは自国の人質が解放された直後の政府首脳の対応とはとても思えないものだった。確かに退避勧告の出ている国へ危険を承知で入った三人にも非はある。しかし、外務省の退避勧告には法的制約はなく、彼らのイラク入国は違法行為とはいえない。それより小泉首相が国会で「イラク戦争が終結したので、復興支援に自衛隊を派遣する」と言明し「サマーワは非戦闘地区である」と繰り返してきたことに本当の責任があるのではないか。イラク国民から見ればそれは米国盲従の卑屈な姿としか見えず、われわれから見てもイラクの実態とはかけ離れた詭弁としか思えない。現在のイラクを戦争状態であると認めてしまうと、自衛隊派遣が憲法違反となるので、政府は戦争状態であることを認めようとしない。その嘘を上塗りするように、イラクは危険と国民に思われないように、腰の引けた「退避勧告」だったのではないか。自衛隊派遣に全て反対ではないが、こうした欺瞞を繰り返す政府首脳に、三人のイラク入国や、解放直後発言を批判する資格は無い。それよりなにより、使命感を持ち、生死を乗り超えてきた自国の若者たちに対し、あまりにも度量の狭い政府首脳たちの発言である。「多くの政府職員が寝ないで努力してきたのに」と言うが、それは国家として公僕として当たり前の事なのだ、それを恩着せがましく言うような首脳に、国民は自分たちの命を安心して任せられるものではない。
自衛隊派遣に批判的だったから解放
今回解放された5人は、それぞれ立場は違っても共通していたのは、米国の大義なきイラク攻撃や自衛隊派遣に批判的な人たちだった。それが結果として解放につながったものと思われる。拘束されたのが派遣された自衛隊員や政府職員だったとしたら、早期解放はありえなかった。日本政府が事件解決のために、各方面に働きかけ努力したことは認めるが、早期解放にいたった根本的条件にも目を向け、政府が手柄を誇る状況にないことを知るべきである。山村武彦

 
4月17日、解放直後の安田さん(右)と渡辺さん(左)

2邦人も3日ぶりにバクダッドで解放される(4月17日)
 墜落した米軍ヘリを取材に向かい、武装グループに拉致された日本人のフリージャーナリストら2人が4月17日午前11時(日本時間同午後4時)ごろ、拘束から3日ぶりに解放された。2人はバグダッド市内にあるイラクイスラム聖職者協会事務所で保護され、日本大使館に移送され、二人は18日にもヨルダンのアンマンへ出国する見込み。健康状態は良好とのこと。15日の日本人3人解放もあり、これでイラクで拘束されていた日本人人質全員の無事が確認された。解放されたのはフリージャーナリストの安田純平さん(30才・埼玉県入間市在住)市民団体メンバーの渡辺修孝(のぶたか)さん(36才・栃木県足利市出身)の二人。
 外務省によると、2人の解放は午前11時35分(同午後4時35分)ごろ、聖職者協会から上村司氏(駐イラク臨時代理大使)に電話で伝えられた。上村氏は打ち合わせのため、同市西部のウンムクラモスク内にある聖職者協会事務所に車で向かう途中だった。約10分後、事務所で2人の無事を確認したという。その後2人は午後0時56分(同5時56分)、日本大使館に入った。聖職者協会のアル・クベイシ師は、16日午後4時ごろ、武装グループから2人を解放するとの連絡を受けたことを明らかにした。その際、グループは「拘束したのは身元を確認するためで、人質にする意図はなかった。2人が民間人で、米軍の協力者ではないと分かったため解放する」と話したという。2人はモスク近くで車から降ろされ、歩いて事務所に向かったいう。

 拘束中の様子について、安田さんはロイターテレビに「丁寧に扱われ、食事も毎日与えられた」と語った。渡辺さんは「目隠しをさせられ、毎日、居場所を移動させられた」と述べた。AFP通信によると、安田さんらは「武装グループは、我々2人が米軍のイラク占領と自衛隊派遣に反対していることを知り、解放を決めた」と同師に語った。
 渡辺さんがNHKに語ったところによると、武装グループは「米英はイラクの敵なので今後も戦う。日本人はイラクになるべく来ないで欲しい。なぜなら、我々は我々の友人たちを傷つけたくないからだ。自衛隊はイラクから出ていって欲しい」とのメッセージを口頭で2人に託したという。
2人や関係者によると、2人は14日午前11時(同午後4時)ごろ、取材のためにファルージャに向かったが、首都の西約20キロのアブグレイブ地区で拉致された。2人に同行していたイラク人の運転手と通訳はその場に取り残された。通訳が事件について、日本の関係者にメールを流し、2人の拘束が判明した。
関係者によると、武装グループの男は、白いアラブ風の長衣に縁なし帽をかぶっており、イスラム教スンニ派で教義を厳格に守る「ワッハーブ派」の特徴的な姿だったという。安田さんは3月にイラク入りし、米軍と武装勢力との衝突現場などで、取材を続けていて、昨年1月に信濃毎日新聞を退社し、フリーでの取材活動を進めていた。
渡辺さんは自衛隊の海外派遣に反対する元隊員らでつくる「米兵・自衛官人権ホットライン」に参加。2月末から半年間の予定で「在イラク自衛隊監視員」としてイラクに来ていた模様。(写真上が渡辺さん、下が安田さん)


事件発生からの動き

邦人3人がイラクで誘拐され、犯人グループが「3日以内に自衛隊を撤退させなければ殺す」と日本政府を脅迫
2004年4月8日午後4時(日本時間午後9時)、カタールのアラビア語衛星テレビ「アルジャジーラ」は、イラクで日本人3人が誘拐されたことを伝えた。犯人グループはイスラム過激派と見られ、放映から3日以内に自衛隊がイラクから撤退するよう要求。撤退しない場合には3人を殺害する、としている。アルジャジーラは日本の外務省に通報した。
 日本政府は日本人がイラク国内で戦闘や事件に巻き込まれる事態を警戒し、イラク全土に退避勧告を出していた。しかし、7日夜(日本時間8日)に南部サマワで活動している陸上自衛隊の宿営地近くに迫撃砲と見られる砲弾3発が撃たれ、日本が標的となる事件が相次いだことになる。

犯人グループの声明文(2004年4月8日)
同局にビデオテープを送りつけた「
Saraya al-Mujahidin・サラヤ・アル・ムジャヒディン(聖戦士旅団)」と名乗る犯人グループはイスラム過激派と見られ、映像に映し出された声明文には「われわれイラクのムスリム(イスラム教徒)の息子たちは(日本に)友情と愛情を抱いてきた。だが、友情は裏切られた。日本は、無信心者である米国の軍が我々の尊厳を冒し、我々の国土を冒涜し、我々の血を流させ、我々の名誉を傷つけ、子供たちを殺害することに手を貸している。我々は必要に迫られた。三人のお前たちの子供ら(人質)は我々の手にある。二つの選択肢を与える。お前たちの軍を撤退させるか、我々が彼ら(人質)を生きたまま炎で焼き尽くすかだ。お前たちに三日間の猶予を与える」と書かれている。。アルジャジーラ側の説明では、テープは8日に届いたという。「サラヤ・ムジャヒディン」という組織は過去にテロなどに関与した記録はなく、実態は不明。
犯人グループから、3人を24時間以内に開放するというファックスが届く(2004年4月10日)
 4月10日夜、アルジャジーラはサラヤ・アル・ムシャヒディンを名乗るグループから届いたファックスを報道した。それによると、彼らが拘束した三人の日本人を、イスラム教スンニ派の宗教指導者の意見を受け入れ、24時間以内に開放するとしている。
声明で「イラクのイスラム宗教者委員会の求めにこたえて、3人の日本人を24時間以内に解放する」と表明。そのうえで「日本の総理大臣は傲慢だ、しかし、我々の情報源によると、三人はイラクのために働いていたことが分かった。三人の家族の痛みを思い三人を解放する。親愛なる日本の民衆に対して、日本政府に圧力をかけ、米国の占領に協力して違法な駐留を続ける自衛隊をイラクから撤退させるように求める」としている。さらに「日本政府はブッシュ(米大統領)やブレア(英首相)の犯罪的な振る舞いに従ったまま考えを改めず、自衛隊を撤退しようとしない」とし、「米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害したように、(イラク中部の)ファルージャでも多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした」と米国を批判した。一方「三人を愛する人たちや家族のなく姿を見て判断した」とも述べている。ただ、具体的な解放場所などについては触れていなかったが、「我々は外国の友好的な市民を殺すつもりはないと全世界に知らせたい」と書かれている。3人を人質にとったことを伝えた前回の犯行声明は、ホテルに届けられたが、今回はファクスだった。また、日付や犯行グループの名称の表記が異なっている。こうしたことから、日本外務省幹部は「慎重に確認している。身柄が確保されるまでは安心できない」と述べた。また、11日、日本外務省にはイラク当局高官から「三人は昼ごろまでに解放されるだろう」という情報が寄せられている。しかし、結果としてこの約束は守られず、15日の人質解放まで世界の注目を集めることになった。
三人はタクシーでバグダッドに向かう途中襲われた模様
 映像には音声は入っていないが、映っていたパスポートなどから、3人は、フリーフォトカメラマン郡山総一郎さん(32)東京都杉並区在住、フリーライター今井紀明さん(18)札幌市西区在住、民間ボランティア高遠菜穂子さん(34)北海道千歳市出身とみられている。誘拐された三人はアンマンからバグダッドに向かっていた途中で誘拐されたものと見られている。
3人のうち、今井さんと高遠さんは元々顔見知りで5日、アンマンで落ち合い、別のアンマンのホテルに滞在していた郡山さんとも仲良くなり、一緒にバグダッド入りすることとしたらしい。ホテル側の話では、陸路でバグダッド入りするため、6日夜、。郡山さんらの依頼でホテル側が手配したヨルダンにある長距離旅客会社のオレンジ色の米国車で、イラクに向かう途中拉致された模様。3人を乗せたこの車のイラク人運転手の行方は分かっていない。
日本政府は自衛隊の撤退を拒否
 福田官房長官は8日夜、首相官邸で緊急に記者会見し、犯人グループが要求している自衛隊の撤退には応じない考えを表明。小泉首相から救出に全力を挙げるよう指示があったことを明らかにした。「仮に報道通り無辜(むこ)の民間人が人質にとられているのが事実なら、許し難く強い憤りを覚える。ただちに解放を求める」と強調。自衛隊の撤退については「そもそも我が国の自衛隊は、イラクの人々のために人道・復興支援を行っている。撤退の理由はないと考えている」と述べた。首相から「まず事実を確認し、人質になった人を無事救出することに全力を挙げるように」との指示があったと説明した。
 政府は8日夜、外務省に対策本部、首相官邸に対策室をそれぞれ設置、逢沢外務副大臣をヨルダンに派遣し、現地で指揮を執る。また、警察庁は国際テロ対策チーム「国際テロ緊急展開チーム」派遣を決めた。小泉首相は午後6時40分すぎから東京都内のホテルで報道各社の論説委員らとの懇談会に出席していたが、9時ごろ都内の仮公邸に戻り、秘書官から報告を受けた。
また、自民、公明両党は幹部が午後9時半から自民党本部に集まって対応を協議。自民党の安倍幹事長、公明党の神崎代表らによる対策本部を立ち上げた後、それぞれ幹事長談話を出し、自衛隊を撤退させないという方針に同調する考えを表明した。
問われた日本の威信と危機管理、真のターゲットは米国の行き過ぎた攻撃
 民間人、それもイラクのために人道支援をしようとしているボランティアや、ジャーナリストを誘拐するという卑劣な犯人グループの要求は、どのような理屈をつけようと断じて容認できるものではない。しかし、こうした犯罪を犯さざるを得なくなった追い詰められた心情にも思いを馳せる必要がある。今回の事態は自衛隊を派遣したときから、予見されていたことである。日本という国が問われているのは、国としての威信であり、テロリストの傍若無人で卑劣なテロに対する姿勢である。そして、自衛隊派遣を主張する小泉政権を選択してきた国民世論である。だからこそ毅然とした態度で臨むべきだが、同時に持たなければならないのは、同じ地球に住む違う文化を持った人々に対する理解しようとする心と、惻隠の情ではないだろうか。彼らは今回民間人を人質にしたが、彼らのメッセージなどから類推すると、真のターゲットは米国であり、6月の政権委譲を前に混乱している状況を打破するために行っているファルージャなどへの行き過ぎた攻撃に対するものである。そして、その米国をけん制するために、米国のイラク攻撃を真っ先に支持した小泉首相に揺さぶりをかけるねらいがあったことと推測できる。
 この事件は1977年のバングラディッシュ・ダッカ国際空港で起きた日航機ハイジャック事件を想起させる。その時、ハイジャック犯は乗員乗客の生命と引き換えに、服役・拘留中の過激派「東アジア反日武装戦線」メンバーらの釈放などを要求した。当時の首相福田赳夫総理は、「人命は地球より重い」などと言い、ハイジャック犯に屈服し要求を受け入れてしまった。その結果、多数のテロリストを世に放つことになり、超法規で出獄したメンバーたちが新たなテロを引き起こし、日本は国際社会の猛烈な批判を浴びることになった。奇しくも元福田首相子息の福田康夫氏が小泉内閣の要として官房長官を務めている。今回の事件はダッカ事件と性質は違うが、無辜の民間人を人質にしたテロ事件に変わりはない。

安易な妥協は、日本人全体を一層危険にさらす
 国が毅然たる態度でテロリストに対峙することが、今後の日本人に対する世界の評価が決まる。しかし、一方でブッシュの大義のないイラク攻撃に追随した日本、米国の言うがままの従属国と見られない配慮も必要である。人質になった3人の日本人は不運でありお気の毒であり、ご家族の心中を推察すると言葉もないが、イラク全土に邦人退避勧告が出されていることを承知で、敢えてイラク入りするからには、こうした事件に巻き込まれることを覚悟していたはずである。
もし、私が人質の立場であったら、恐怖に慄いていても、日本政府に犯人グループと安易な妥協はして欲しくない。日本人を誘拐すれば日本政府が安易に取引に応じると思われれば、同様の誘拐事件が世界各地で多発する可能性がある。危険を承知でイラク入りした自分のために、日本人全体を危機に陥れてはならないと、きっと思うに違いない。
解放された3人の発言に風当たりが強いのは当然
私は災害現地調査などで混乱した被災地に入ることが多いが、そこで見る世界中の災害救援ボランティアには共通した認識がある。
1、相手に迷惑をかけないことに尽きるそれは不足しているであろう水食料を自前で持っていくことはもちろん、トイレなどの生活物資も持参するのがマナーである。そして、自分が危険な場所に入って怪我をしたり、問題を起こすことを極端に恐れる。それは、結果として現地に迷惑をかけることになるからである。
2、行政機関に問い合わせ、現地の状況を判断して時期を選択することもマナー。ボランティアやジャーナリストである前に、人間としてのマナーは最低限法律を遵守しなければならないのは言うまでも無い。
犯行再発を懸念し、危機レベルを引き上げ、内外の日本人に警戒を呼びかけるべきである
この時期の日本に対する攻撃は、スペイン・マドリード地下鉄同時爆破テロ事件のように、選挙結果を左右させ、新内閣に派兵中止を決意させた成果を犯人グループは再び目論んでいる。日本政府は毅然とした姿勢を貫くだろうが、テロリストたちの攻撃はさらに広範囲にわたって執拗に繰り返される懸念がある。日本政府は国内と海外における日本人のテロに対する危機レベルを引き上げ、厳重な警戒を呼びかけることが急務である。そして、国会は直ちに与野党一致でテロリスト非難決議を行うべきである。防災アドバイザー山村武彦


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