|能登半島地震・1周年現地調査2周年・現地調査| 2024年(令和6年)能登半島地震

2007年(平成19年)能登半島地震/現地調査写真レポート
山村武彦
地震発生!
 2007年3月25日(日)午前9時42分能登半島地震(M6.9)発生!震源は輪島市の西南西40Km付近の海底・深さ11Km。この地震で石川県輪島市、七尾市、穴水町などで震度6強の揺れが襲い、死者1名(52歳の女性が灯篭の下敷きで死亡)、重軽傷者327名、全壊525棟、半壊774棟など広い地域で大きな被害を出した。
突きつけられた課題
 地震発生の翌日から現地調査を行ったが、高齢過疎地域を襲った災害によって、災害時要援護者避難支援プラン、福祉避難所、余震が続く地震後の被災者収容避難場所のあり方、高齢過疎地域における応急仮設住宅、生活再建支援、住宅再建助成措置のあり方等々、少子高齢化の進む全国の市町村に対し多くの課題と教訓を残した。
ボランティアや義捐金だけが支援ではない
 被災者と被災地を支援する方法は義捐金を送ること、ボランティア活動に行くことだけではない。地震後7万件以上の宿泊キャンセルが発生してるように、直接被災しなかった周辺地域全体が関連被災地となっている。輪島の朝市をはじめ能登半島の温泉や観光地はすでに通常営業している。しかし、支援者や応急復旧要員だけしか来ず、地域が強く望んでいる観光客が来ない。これからが能登半島の観光シーズンである。同じ時代を生きる者として、能登に行って楽しんであげることが、この地域にとって一番の励ましである。さあ、みんなで能登へ行こう。
国が推進する防災対策へ大地からの警告
 能登半島の付け根には邑知潟断層(おうちがただんそう・かほく市~七尾市)の存在が知られていた。しかし今回動いた断層は、地震調査研究推進本部が将来動く可能性のある断層(98カ所)に指定していなかった未知の断層であった。被害の多かった自治体をみると、必ずしも適切な防災対策が実施されていなかったようにみえる。平成12年鳥取県西部地震でも、断層がないと言われていたところで断層が動いた。今、断層が無いといっているのは、断層がないということではなく、現在の地震研究ではまだ判明していないということでしかない。政府や関係機関はこれまで、特定断層の地震発生確率を発表し、特定の想定地震を対象とした特措法を制定し特定地域(主に太平洋沿岸)の自治体に防災対策強化を推進してきた。しかしこのことは、結果として他の自治体に「非該当地域は安全・防災対策強化は不要」という誤ったメッセージを発信していたことになる。能登半島地震は、現在の想定地震、発生確率、特措法、防災対策強化地域指定のあり方について、再考を促す大地からの警告と受け止めなければならない。特措法による防災対策推進地域にだけ国の助成があることも問題である。日本中、どの地域でも大地震が発生する可能性があることが証明されている以上、特定の地域だけを対象にせず全国の自治体に対して財政措置を講じ防災対策強化を推進すべきである。
被災者の方々にお見舞い申し上げますと共に、一日も早い生活復興をお祈りいたします

歴史ある町
 被害の多かった輪島市門前町は、曹洞宗總持寺祖院(正式には諸嶽山總持寺祖院)の門前町として栄えた町(約8000人)だったが、2006年2月、輪島市と合併し輪島市門前町となった。
 この寺は、1321年に瑩山紹瑾禅師によって開創され、その後寺運隆盛を極め全国にその末寺1万6千余を数えるに至ったが、明治31年4月13日不幸にして災禍により七堂伽藍の大部分が焼失してしまった。約2万坪の境内には焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍もある。
 現在、神奈川県横浜市鶴見区に布教伝道の中心が移されている。
                 曹洞宗総本山総持寺祖院(輪島市門前町)

家のバランス
 能登瓦の産地のせいか、瓦葺きで50年100年風雪に耐えてきた古い家が倒壊していた。古くは北前船の寄港地として名高かった輪島は、富裕な商家が町並みと文化を形成していた。そして以前はほとんどが茅葺きであったが、近年茅などが手に入りにくくなったため、柱などはそのままに屋根だけを瓦に葺き替えた家が多いという。 道路に面した家は道路側に玄関、縁側を設け、一階に広い部屋がつくられていた。そのためか、道路側の壁が少なくバランスを崩した1階が倒壊するケースが目立つ。
                      能登瓦の古い家が倒壊
余震!緊迫する現場
 新潟県中越地震と同じような浅い地震の特徴で、余震が頻発していた。3月25日の本震で傾いた家が、26日午後の余震発生と同時に音を立てて崩れた(左と下の写真)。その家に人が入っていくのを見たという情報が入り、消防、警察などが急遽捜索に当たる一幕があった。
 屋根をはがして内部を捜索した結果、幸い中には誰もいなかったが、余震が続く被災現場は戦場のような緊張に包まれていた。
                         余震で倒壊した家の捜索

高齢過疎地域
 石川県の面積の半分は能登半島である。半分の面積を有する能登半島に県人口(117万人)の11%しか住んでいないという過疎指定地域で地震は発生した。
 被害の多かった2市2町の高齢者率は41.4%に達する。犠牲者数が少なかった理由のひとつに過疎をあげる人もいる。確かに全壊525棟のうち無人の家屋もかなりあった。その一方、都市部と異なり隣近所のつきあい密度は高く、近所の助け合いが各所で見られた。このことが犠牲者を少なくした大きな要因として評価すべきである。
                 破れた障子が揺れの激しさを物語っていた

門前町における災害時要援護者支援
 合併前の1999年から旧門前町(人口8000人)では、民生委員44名のほかに福祉推進員106名で「地域見守りネットワーク」を推進していた。つまり福祉推進員1人で高齢者や要介護者4~5人を日常から訪問し見守る体制ができていた。
 地震発生後、短時間に住民全員の安否が確認できたことは決して偶然ではなく、こうした日常の努力が実った結果といえる。
 行政の課題は、こうした住民ネットワークによって避難した人達を収容するための「福祉避難所」の整備である。各市町村の現状を見るとほとんど形式的な福祉避難所でしかない。合併によって安全が後回しににされていないか。高齢化時代において、自治体が取り組むべき最優先課題として対応すべきである。

「愛国民心」が問われている
 新潟県中越地震で犠牲者67名のうち、地震による直接死者は16名。残り51名は地震後のストレスが要因の関連死であった。今回も現地で目撃したのは、避難所へ頻繁に出入りする救急車と病院に運ばれる高齢者であった。余震が頻発する避難場所、冷たく堅い床に不安とストレスを抱えた高齢者を寝かせていて良いわけがない。
 仮設トイレも健康阻害要因となっている。段をのぼり、先にあるのは足腰の弱い者には辛い和式トイレなのだ。
 地震後に避難者から犠牲者を出すのは人災である。余震の心配のない安心して手足を伸ばして眠れる場所を提供するのが、せめてもの優しさではないのか。
 ハリケーンカトリーナでは、災害直後に全米からトレラーハウスを集め、それまでのホテル代を国が負担した米国。日本はまだ防災先進国ではない。教育改革で愛国心を教えるのもよいが、その前に国民を愛する「愛国民心」を政府は学び実践すべきではなかろうか?不条理な災害に蹂躙されている国民を保護し守るのが国家ではないのか。この地震が突きつけた課題は大きくそして重い。山村武彦
(写真・文)

他の現地調査写真レポートを見る