|東日本大震災阪神・淡路大震災防災システム研究所現地調査写真レポート令和2年7月豪雨(熊本豪雨)から1年|
 
令和2年7月豪雨(熊本豪雨)/現地調査 写真レポート(文・写真:山村武彦)
 犠牲者のご冥福をお祈りし、被災者にお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます
高さ約7メートルのガスボンベが浸水の深さを物語っていた/熊本県球磨村・渡地区
3階建ての2階まで埋まった家/球磨村
踏切に洗濯機/球磨村
★まるで津波の後のようだった
 令和2年7月豪雨と命名された大規模水害だが、気象庁は7月4日午前4時50分に特別警報が発表されるまで会見は開いていない。平成30年7月豪雨(西日本豪雨)や令和元年東日本台風(19号)など、特別警報級の天候が予想されるときは事前に記者会見が開かれてきた。しかし、気象庁もこれほどの大雨になるとは直前まで予測できなかったのかもしれない。前日の3日夕方時点で気象庁は、熊本県内の4日18時までの24時間雨量の予想を「多いところで200mm」と発表していたが、実際には400mmを超えた。熊本地方気象台も「特別警報が出るほどの雨は十分に予測できなかった」と話している。線状降水帯が襲う位置、時間、期間を正確に予測することは難しいという。
 7月3日夜から低気圧や梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で、3日夜から4日朝にかけて熊本南部は局地的に猛烈な大雨となった。鹿児島県鹿屋市鹿屋で1時間雨量109.5mmを観測。24時間雨量は鹿児島、熊本、福岡それぞれ400mm以上を記録している。とくに三大急流のひとつ球磨川流域上空には線状降水帯が次々と現れ過去にない大雨を長時間降らせた結果、球磨川各所で氾濫し大洪水となった。7月13日午前現在、死者・行方不明者81人という大惨事となった。私は地元のテレビ局の要請を受け、7月9日~11日まで人吉市と球磨村を中心に現地を回った。出発前の抗体検査で陰性だからといっても絶対ではないので、こまめな消毒、検温、ソーシャルディスタンスを心がけながらの3日間であった。その間にも断続的に強い雨が降った。驚いたのは浸水の深さで、電線にひっかったガスボンベなどからして最大8~10mの浸水があったものと推定している。そこは、まるで津波の後のようだった。
 令和元年東日本台風(2019)平成30年7月豪雨(2018)平成29年九州北部豪雨(2017)平成28年台風10号岩泉水害(2016)平成27年関東・東北豪雨(2015)と、今年までの6年間、毎年大規模な風水害が発生している。そして年々雨の降り方が激化しているように感じる。私は50年以上災害現場を回っているが、この10年はほとんど休む暇がないほど毎年大規模災害が発生している。これほど災害が多発すれば、これからも感染症と大規模災害の複合災害は起こり得ると考えなければならない。人混みのマスク着用、社会的距離、テレワークなどが新常態であるならば、もう一つの新常態は複合災害に備えた備蓄や覚悟を日常とする生活ではないだろうか。

球磨川に架かる14箇所の橋が流失/熊本県球磨村・相良橋

球磨川沿いの旅館・堤防の上約2m越水/熊本県人吉市
★防災先進地のタイムラインが機能せず
 熊本県人吉市は、暴れ川といわれる球磨川沿いにあるため、過去にも繰り返し水害に襲われてきた。そこで、早い段階でタイムライン(事前防災行動計画)策定に着手。本年6月には球磨川支流河川の氾濫や土砂災害への対応を定めた全国初の「マルチハザードタイムライン」の試行版を策定するなど、防災先進地として知られていた。また、2016年6月から運用してきた「球磨川水害タイムライン」は、平常時から氾濫発生までを0~6の7段階に分け、避難勧告、避難指示の発表、避難所の開設、救助活動などの行政の各部署や消防などの関係機関がとるべき行動を時系列で定めていた。
 今回の水害は7月4日の未明~早朝にかけて発生したが、その前日の3日午後16時にも同市と球磨村、国土交通省八代河川国道事務所、熊本気象台などがタイムラインの運用会議を行って早めの避難所開設などの緊急時対応を確認していた。人吉市はタイムラインに沿って3日深夜から1部地域に避難勧告を出し始め、4日午前5時15分には全域に避難指示を発令した。しかし、逃げ遅れた人などが多く19人の犠牲者を出してしまった。市によると、現在のタイムラインは複数の死者が出た1965年7月水害の雨の降り方(48時間で440mm)を前提にして計画されていた。今回の豪雨では4日までの48時間雨量は420mmの雨だったので、降雨量は想定内だったが、1時間雨量は60mmを超える時間帯もあった。同じ地域に積乱雲が線上に通過する線状降水帯が次々と現れ局所的豪雨によって球磨川破綻時間に急増水し各所で氾濫した。市内の浸水深は1965年よりも2m以上深い浸水となり、地域によっては1階だけでなく2階までも水没し多くの犠牲者を出すことになった。市は「タイムライン通りに動いたが、朝方だったこともあり、住民の避難に結び付いたかどうか判断は難しい。今回の急激な水位上昇を踏まえ、計画の見直しが必要」と語っている。
 球磨川沿いの自宅が浸水し首まで水に浸かった男性は、タイムラインの存在を知らなかったという。浸水前に防災行政無線の屋外スピーカーから流れた音は聞き取れず、自宅にとどまり濁流に襲われた。「避難の行動計画があっても、事前に住民ひとり一人が理解していなければ意味がない」と自戒を込めて話していた。隣接する球磨村もタイムライン通りに前日の3日午後5時に「避難準備・高齢者等避難開始情報」を発令し、特別警報の前に避難勧告、避難指示も発令していたが、千寿園の入所者14人を含め24人が逃げ遅れて死亡している。自治体の危機感家計画趣旨を住民といかに共有するかが、今後の大きな課題である。(出典:日本経済新聞7月10日朝刊)

今回の豪雨で浸水した地域/出典:国交省
球磨川浸水想定区域図/出典:国交省
人吉市の浸水想定は5~10m、球磨村の浸水想定は10~20m
特別養護老人ホーム千寿園は10m以上の浸水想定区域にあった
出典:西日本新聞(当所にて文字記入)
上の道路から千寿園は約4m低い場所にあった、上の道路沿いの家は浸水を免れていた
洪水の前日の7月3日17時、球磨村は避難準備・高齢者等避難開始情報を発令。その時点で避難していたら・・・
千寿園の1階が浸水し入所者14人死亡
★住民たちと職員が懸命の救助活動
 水没した特別養護老人ホーム「千寿園」は、法令通り「避難確保計画」を昨年11月に村に提出し、地域の住民たちと共に避難訓練も行っていた。しかし、7月4日の1階浸水で80歳以上の入所者男女14人が犠牲になってしまった。痛ましい限りである。その一方で、身の危険にさらされながらも宿直職員5人と小川さんが支援を呼びかけた住民10人が懸命の救出活動を行い、それによって助かった命も多数あった。村議会議員の小川俊治さん(72)が施設に駆け付けたのは、大雨特別警報が出されたあとの4日午前6時ごろ。断続的に激しい雨が降っていた。その時にはすでに施設職員と住民たちが入所者が乗った車椅子を4人がかりで2階に次々と担ぎ上げていた。
 40人ほどを2階に上げた時「バーン」という轟音とともに窓ガラスが割れ、施設内にどっと濁流が流れ込んできた。残っていた入所者が濡れないようにとテーブルを並べて島を作りその上に上げた。小川さんは1階で入所者を救出しようとしていたが、水かさが増しあっという間に足がつかない状態になった。小川さんは別の救助者と一緒に入所者の胸元をつかんで引き上げ、浮いていたマットを胸の下に押し込んで体を浮かせた。そのままの状態が約3時間続いた。入所者がずり落ちるたびに引き上げているうち小川さん自身がバランスを崩し水に沈んだ。「頑張れ」と声を掛け合ったが何度も死という文字がよぎった。助かる兆しが見えたのは2階にいた施設職員たちが天井を壊し、ロープを下ろしてくれた時からであった。浮遊する人たちは順番に引き上げられた。小川さんが支えていた入所者も無事だった。2階に逃れても徐々に迫る茶色の水にみんなが怯えていた。上空には施設の危機を知ったヘリコプターが旋回し、少しずつ水は引いていった。午後6時半ごろ無事だった入所者は次々とヘリコプターで病院に搬送されていった。その人たちの多くが脱水症状や低体温症に陥っていた。こうした住民たちの支援がなかったらもっと多くの人が犠牲になったものと思われる。施設職員と小川さんや住民たちの命を懸けた避難・救助活動に心より敬意を表したい。
 ただ、返す返すも残念なのは、球磨村は洪水対応のタイムラインを策定していて、前日の3日午後5時に「避難準備・高齢者等避難開始情報」を発令した。この時点で入所者を2階に避難させていたら犠牲は避けられたかもしれない。
★要配慮者利用施設の立地問題
 千寿園は2000年6月に開設されている。これは4年前の岩手県岩泉水害で9人の犠牲者を出した「高齢者グループホームらんらん」の開設(2000年4月)時期とほぼ同じである。こうした施設は介護保険の始まった2000年前後の開設が多い。それは介護保険と共に「ゴールドプラン」及び「ゴールドプラン21」が背中を押したとされている。1989年、当時の厚生省は急速な高齢化に危機感を持ち、早急に対処すべく「高齢者保健福祉10ヵ年戦略」(通称ゴールドプラン)を制定する。ゴールドプランでは今後不足する高齢者保健福祉施設の「施設対策推進十か年事業」として、
(1)特別養護老人ホーム24万床
(2)老人保健施設28万床
(3)ケアハウス10万人
(4)過疎高齢者生活福祉センター400ヶ所
 これらの増設を目標として緊急整備を図ることになっていく。これは必要なことである。その受け皿として老人保健法に基づく「市町村老人保健福祉計画」と相まって都道府県や市町村が主体となって積極推進が図られていった。その結果、特別養護老人ホーム24万床の目標に対して、約10年間で36万床が開設された。各自治体もゴールドプランのバスに乗り遅れてはならじと、隣接自治体と競争するように高齢者保健福祉施設等の誘致を積極的に進めた。その結果、多くの施設が町の中心部から離れた辺鄙な場所に建設されていく。その立地場所は山間地や浸水想定区域等も含まれ、土砂災害や洪水が発生すると、こうした福祉施設が真っ先に被災することになる。これまでも防府豪雨災害(2009年)の「特別養護老人ホームライフケア高砂」で7名の犠牲者を出し、奄美豪雨災害(2010年)・「高齢者グループホームわだつみ苑」で2名の犠牲者を出している。
 高齢者や認知症の入所者は、緊急時の迅速避難や自力避難が極めて困難にもかかわらず、安全とは言えない場所に施設が立地している。楽ん楽んは小本川に近接した場所で、千寿園は球磨川と小川の合流地点であった。しかも、寝起きする場所が1階だった。せめて2階へのスロープがあれば、あと4m施設がかさ上げされていれば、後から悔やんでも仕方がない。今後、悲劇を繰り返さないために、既存施設も含め要配慮者利用施設は「逃げる防災だけではなく、安全な場所に住む(する)防災」を目指すべきである。そのためにも今、危険区域にある施設の安全対策改修を急がなくてはならない。そして、早い避難情報の発令、早期避難など自治体と住民の防災リテラシーの向上も必須である。
千寿園に隣接する渡小学校も1階が浸水、校庭には大量の土砂が堆積 ↑
プールも土砂が流入↓

九州の小京都といわれる人吉市・その中心は青井阿蘇神社
青井阿蘇神社も一部浸水
国の登録有形文化財「禊橋」の朱塗りの欄干損壊、蓮沼には多くの車が流されていた
住民によると4日朝、左側に見える「一の鳥居」の上部(鳥居桁)だけ残し水没していたという
青井阿蘇神社の蓮沼には蓮の花が咲いていたが、それも濁流にのみ込まれてしまった

青井阿蘇神社前の過去の水害水位/これまでの最高は1965年の2.1m、今回はそれを2m以上上回る水害だった
電柱の中ほどには次のような言葉が書かれていた
忘れないで、球磨川の持つ
もうひとつの顔
この電柱にある水面表示板は
今までに起きた水害のときの
水の高さを表しているんだよ
球磨川が、ときには「暴れ川」に
なることを忘れないでね

過去の水害で1階が浸水したので、2階にいれば大丈夫と思って2階に避難していた人が
屋根から救助され九死に一生を得て「まさか、2階まで来るとは・・。」とショックを受けていた
昨今の異常気象は過去の雨量を大幅に超える豪雨が頻発している
過去の洪水水位にとらわれず、過去の2倍の洪水を想定し早期避難・事前対策が必要な時代
★人吉市の動き
 大雨警報が出た3日夜、市はタイムライン(事前防災行動委計画)に基づいて全職員を招集する。そして球磨川の水位が氾濫危険水位(3.4m)まで上昇したのが4日午前4時。タイムラインでは氾濫危険水位に達した段階で「緊急を要する」と判断した場合は「避難指示」を発令することになっていたが、市は一つ下の「避難勧告」にとどめた上で、防災行政無線で市民に避難を呼びかけた。その後も刻々と状況は深刻化し気象庁は4日早朝4時50分に「大雨特別警報」を発表。市が市全域の3万2,266人に避難指示を発令したのは午前5時15分だった。その75分後の午前6時半には国土交通省八代河川国道事務所が人吉市街地での氾濫を確認している。人吉市における球磨川の堤防は計画高水位(4.07m)プラス余裕高1.5mなので計画堤防高は5.57mである。つまり、午前6時半には球磨川の水位は5.57mを超えていたことになる。人吉橋付近の堤防際にある旅館の浸水状況を見たが、堤防から約2mほどの高さまで流れてきた雑草などが絡みついていた。今後詳細な検証が必要だが、この時点で人吉市の浸水高は、計画堤防高(5.57m)+越水高(2m)≒7.57mと推測できるのではないか。
 結果的にはタイムラインと現実はずれていた。タイムライン通りであれば、堤防が耐えられる最高水位(計画高水位・4.07m)まで達した午前5時50分には、危険区域の住民全員の避難が完了しているはずであった。その時点では堤防高5.57mまで多少の余裕があったかもしれない。しかし、午前6時の時点で指定避難所に避難した人は159人に過ぎない。氾濫後に避難を開始した人や避難できずに救助された人も多かった。人吉市では10日午前現在、19人の死亡が確認されているが、身元が判明している17人の大半は氾濫に巻き込まれた可能性が高いという。このタイムライン策定における水害水位の前提は1965年の水位を基準にしていたという。先進的防災地区の先進的防災対策であるタイムラインが、過去の事例(水害水位)にとらわれ、気候変動による想定し得る最大規模の降雨に備えていなかったのが残念である。逃げ遅れて救助された住民に話を聞くと「タイムラインのことは知らなかった」という人が多かった。住民への防災知識・意識啓発がいかに重要か思い知らされた気がする。
 河川が氾濫した場合の流速は早く、深さ20cmで成人男性でさえ足を取られ流される危険性がある。子供や高齢者であれば避難が困難となるので、夜間・未明に大雨が予想されるのであれば、自治体は空振りを恐れず前日の明るいうちに避難勧告を出す必要がある。人吉市での24時間雨量は戦後最大の被害をもたらした1965年豪雨時の約2.5倍の410mmに上り、球磨川氾濫での最高水位だった当時を2m以上上回る7.25mに達している。市は近年の大規模災害頻発を受け、タイムラインの見直しに着手していたが今回の水害を踏まえ松岡市長は改めて改善を言明している。

球磨村
水害に備え高床式にした家も2階まで浸水
基礎だけ残し、すべて流された家
平屋は屋根まで水没
球磨村・渡郵便局も屋根まで水没
濁流が突き抜けた室内
防災行政無線のアンテナも損壊
JR渡駅 ↑↓
3年前の熊本地震で被害の多かった益城町は、恩返しの心を込めて給水支援に当たっている
後ろに見えるOさんの家は、水害に備え地盤より約1.2mかさ上げした2階建てだが2階の屋根まで水没
Oさん夫婦は手を取り合って、2階のベランダから泳いで裏山に逃げて九死に一生を得たという
Oさんの家と裏山

球磨川の水位が上昇した時、小河川や排水樋管の水門を閉じる
その時内水氾濫を防ぐための排水ポンプ施設が各所に整備されていた
排水ポンプ施設も堤防の越水・浸水で機能不全に陥った
球磨川の堤防越水を想定していなかったのか、非常電源設備も水没
球磨川堤防の越水箇所/球磨村渡付近

球磨村総合運動公園/多目的交流施設さくらドーム
★壁も床もなかった
 大きな被害を出した球磨村の指定避難場所であった多目的集会施設は14人の犠牲者を出した千寿園近くにあり、7月4日午前に浸水してしまった。村民は自主的に地区の高台にある総合運動公園内の「さくらドーム」に避難した。しかし、このドームは屋根はあっても壁も床もない。避難者たちは地面に敷いたブルーシートの上で過ごした。5日夜は強風で雨が入り込んだため、シートを壁代わりにして雨を防いだという。ドームのそばの高台にある「寿泉寺」にも近隣住民30人が避難していた。そして6日、避難者たちを隣接する人吉市の人吉第一中学校体育館と多良木町の旧多良木高校に移送した。住民たちからは「一日も早く仮設住宅を」の声が聞かれた。

熊本県芦北町 田川地区の土砂災害現場(出典熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター)
★時速約46㎞で流下
 京都大学防災研の竹林准教授によるシミュレーションでは、標高100m地点からの勾配25度程度の急斜面を時速46㎞の土石流が流下し、発生から15秒ほどで、渓流の出口に位置する2階建て家屋に到達したと推定している。土石流の高さは2~3mで家屋に衝突したせり上がりで一部5mの高さになったものと推定されている。土砂に埋まった全壊家屋で3人が犠牲になった。芦北町のほか津奈木町などの土砂災害で15人が死亡している。この地域は4日午前2時ごろから雨脚が強くなり、1時間雨量は100mmを超える時間帯もあった。芦北町の現場では午前4時ごろ轟音と共に土石流が発生したという。この地域は土砂災害警戒区域(イエローゾーン)に指定されていた地域である。

コロナ禍を懸念し災害ボランティアは県内や市内に限定募集、泥出しや片付けのマンパワー不足
★複合災害における災害支援・ボランティアのガイドライン
 7月13日熊本県は、香川県から応援派遣されていた高松市の30代の男性が、新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表。応援派遣職員は保健師で、7月8日~11日まで人吉市立第一中学校と多良木町の旧多良木高校の避難所で、避難者と対面しながら健康状態の聞き取りなどを行っていたという。現在、男性職員は香川県内の感染症指定医療機関に入院中だが無症状で感染経路は不明。香川県の浜田恵造知事は、派遣前にPCR検査を受けていなかった点について「健康な方であったし、出発時点で80日間、県内で新型コロナの患者がいなかった」と説明している。濃厚接触者は香川県から一緒に派遣されていた職員5人。職員と同じ班だった職員2人はPCR検査で陰性が確認されている。熊本県ではその男性がマスクを常時着用していたため、避難者は濃厚接触者にあたらないと見ている。熊本県の蒲島郁夫知事は臨時記者会見を開き、多くの市町村で支援の人手が不足していることに触れ「悩ましいが、派遣職員には来ていただきたい。被災地での活動前に体調の確認をするとともに、基本的な感染防止対策を徹底してほしい」と述べている。
 今回のことを受け、今後 被災地支援職員は派遣前にPCR検査が必須条件となるに違いない。場合によっては任務終了後や帰着後のPCR検査が必要となるかもしれない。政府は「コロナ禍における災害支援・ボランティア等ガイドライン」を作製するなど、早急に統一見解を示す必要がある

誰にでもできる被災地支援方法の一つは、被災地へ義援金を送ること/日本赤十字社

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