阪神・淡路大震災

淡路島北淡町の活断層跡 マグニチュード7.3・震度7を記録

 平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
淡路島、神戸市、西宮市、芦屋市など、震度7の烈しい揺れに見舞われ、死者6,434人、重軽傷者者43,792人。全半壊家屋274,181棟。焼失家屋約7,500棟、避難者約35万人。断水130万世帯。停電260万戸。ガス停止86万世帯。電話不通30万回線。同時多発火災約290件の大惨事に発展したのです。
 奇しくも、そのちょうど1年前の1994年1月17日午前4時31分、ロサンゼルス・ノースリッジ地震が発生していた。その、ロス地震一周年を記念して、日米の防災関係者が集まり「第4回日米都市防災会議」がその日から大阪国際交流センターで開催される予定でした。その会議に出席するため、前夜から大阪・天王寺のホテルの8階で寝ていた私は、突然襲った強い揺れで目を覚ましました。ホテルは全館停電となったが、持っていた携帯ラジオで情報を得て、直ちに神戸に向かい二時間後に現地へ入ったのです。
 そこで見たのは、あちこちで烈しく煙を吹き上げ炎上する町。ガスの匂いが立ち込める中、茫然自失の被災者。軒並み倒壊した家々。それはすさまじい都市直下型地震の生々しい傷跡でした・・・・。
 多くの犠牲者の死を無駄にしないために、この災害を後世に伝え続けることが私の使命と思い、地震直後使い捨てカメラで撮った災害地の写真を見ていただきながら「阪神・淡路大震災の教訓」と題し、防災意識啓発に少しでも役立てばと、これからも全国各地で防災講演を続けていきます。講演をご希望の方はお気軽にお問合せください。講演問合せメール
防災システム研究所 防災アドバイザー/山村武彦   能登半島地震 非常本

住宅が多数倒壊、必死の救助作業 280箇所の同時多発火災発生

被害者・加害者・傍観者にならないこと
 阪神地区から淡路島にかけては、「六甲断層帯」と呼ばれる活断層がいくつもひしめき合うように分布しています。そのうちの野島断層が右横ずれを起こしたために、未曾有の大震災となりました。
 近畿地方には地震はこないという、根拠のない安全神話はもろくも崩れ去り、震度7という激しいゆれに襲われ、多くの住宅が破壊されました。
 私は大阪の天王寺のホテルの8階に寝ていました。上下動の激しい揺れで目を覚まし、持っていた携帯ラジオで情報を聴き、停電で暗い大阪の町から国道2号線を神戸に向かいました。約2時間後、救助活動を手伝いながら見た光景を忘れることができません、見渡す限り倒壊した家、あちこちで発生した同時多発火災の煙、公園や学校のグランドにパジャマや毛布を巻いた人たちが呆然と立ち尽くしていました。ところどころでガスの匂いがして、見渡すと幾筋も煙が上がっているという恐ろしい光景でした。
 世界で起きる地震の約20%以上がこの日本で発生しているのです。いつでもどこでも日本中で地震が発生する可能性があるのです。地震国に住む作法は、自分の家と室内の耐震性を高め、自分の家から火災を出さない、自分の家から死傷者を出さない事前の備えが必要なのです。隣人を助けることができるのは隣人だけです。自分の家や家族、隣人、町は自分たちで守るのです。防災とは、被害者にならず、加害者にならず、傍観者にならないためのモラルなのです。
  犠牲者の死を無駄にしてはいけない
被害額は約9兆円〜12兆円といわれ、ソ連のアルメニア地震、ロサンゼルス地震よりも被害は多く、都市を襲ったもので世界最大級の災害です。この地震で多くの犠牲者(6,434人)を出しました。死因は建物の倒壊、家具や家電品の下敷きによる圧死、窒息死などで83.9%、火災等でで15.4%。犠牲者の過半数が65歳以上の高齢者でした。被災地は一人暮らしの高齢者が多く、逃げ出すことも困難でした。家族と同居でも一階に住んでいて、逃げるまもなくおしつぶされた人が多数いました。こうした尊い犠牲者の死を無駄にせず、阪神・淡路大震災の教訓を生かすことが大切です。
風化させてはいけない
 これほど大きな被害を出した災害もしばらく経つと忘れ去られてしまいます。風化させない努力が、将来を背負う子供たちへのせめてもの贈り物です。三陸地震津波で多くの犠牲者を出した岩手県田老町では、手作りの紙芝居を作って子供たちに災害の恐ろしさを語りついでいる人もいます。戦前の教科書には「稲むらの火」という南海津波の物語を掲載して、子供のときから防災意識の啓発に努めていましたし、サンフランシスコでは幼稚園から漫画ビデオ・DVD・インターネットなどを利用して幼児防災教育とボランティア教育が始まります。今、日本で大切なのは国民の一人ひとりのマインドを上げ、防災力、危機管理対応力をあげることが必要なのです。



阪神大震災当日(1995年1月17日)の現地の姿
(撮影;山村武彦)無断転載、複写はご遠慮ください
写真等の無断転載・複写はご遠慮ください(撮影:防災アドバイザー山村武彦
公衆電話に長い列 ガラス被害
コンビニに集まる人々 一瞬の揺れでビル崩壊
スキー列車脱線 阪神高速道路
1階がなくなった鉄骨建物 タクシーを橋脚が直撃
行方不明者の名前を呼び続ける人々 燃えるマンション



間違いだらけの防災対策(逃げる防災から闘う防災へ)
地震火を消せ、机の下にもぐれは本当に正しいのか?
 地震発生二時間後に現地に入り、今まで防災対策の常識といわれていたものが、間違っていることに気がつきました。
例えば、「地震火を消せ」はそれはそれで正しいのですが、直下型の地震のように激しいゆれに襲われた時、古い家に住んで居たら、直ちに脱出すべきです。もちろん、身の安全を確保しつつ火を消すチャンスがあったら真っ先に火を消すべきです。また、「身の安全を図るために、テーブルや机の下にもぐれ」は、本当に正しいのか疑問に思いました。もちろん身の安全を図ることは大切ですが、気象庁の震度階の説明では「震度7とは、自分の意思で行動できない」と、規定されています。自分の意思で行動できないのに、本当に机の下にもぐれるのでしょうか?机の下に身を隠すのは、家具の転倒tや、落下物から身を守るためですが、事前に家具や電化製品の固定や転倒防止を行い、机の下に身を隠さなくても良いようにするのが、真の実践的防災対策ではないでしょうか?
逃げる訓練だけでよいのか?
地震発生二時間後の現地で救助活動を手伝いましたが、場所によっては、一人か二人で閉じ込められた人の救助にあたっていました。「ほかの人はどうしたのですか?」と聞くと、「皆、避難場所に避難しました」という答えでした。それを聞いて、「今までの防災訓練が間違っていたのではないか」と思いました。
今までの防災訓練は、どちらかというと避難訓練でした。地震イコール避難場所に避難する訓練でした。ですから人々の頭の中には地震イコール避難ということが刷り込まれているように思われます。津波、がけ崩れなど二次災害の恐れがある場所や、避難勧告が出たら、直ちに避難すべきです。しかし、安全が確認できたらそこにとどまって、起きた災害と闘わなくてはなりません。皆が逃げてしまったら、誰が火を消すのでしょうか?誰が家の下敷きになった人を助けるのでしょうか?安全が確認できたら、災害に立ち向かっていかなければなりません。これからは逃げる防災から闘う防災が必要です。
阪神・淡路大震災の教訓
1、大災害時は住民全員が避難する場所はない 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・神大震災の教訓、
どこの市町村にも、一時避難場所、広域避難場所、、避難所が定められています。一時避難場所は一時的に様子を見たり集合する場所、広域避難場所は付近の被災者や住民の避難場所。避難所は、家を失ったり、二次災害の恐れのある人々が避難する宿泊施設のある場所です。しかし、殿避難場所もそこの住民全員が避難できる避難場所はありません。
阪神大震災でも、応急の避難所となった学校などに収容できたのは、被災者の12%でしかありません。残りの88%の人たちは、電気・水道・ガス・電話が途絶えた自分の家で暮らさなければなりませんでした。マイカーや公園、グラウンドで不安な夜を過ごした人もいます。
どこの市町村でも収容能力はせいぜい10〜15%でしかありません。従って、自分の家をシェルターにしなければ路頭に迷うことになるのです。そして、備蓄しておいた水、食糧で生きのびる事を考えなければなりません。他力本願でなく事前に準備をして災害を迎え撃つ姿勢が大切です。 阪神大震災、阪神淡路大震災、神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、

避難所を利用せざるを得ない人
 1. 火災・津波・崖崩れなどの恐れがあり、危険な住民
 2. 避難命令、避難勧告が出された地区の住民
 3. 家が壊れたり燃えたりして住むことができなかったり、余震で壊れる恐れのある家の住民
 4. 通過中・訪問中で居住する所がなく、一時避難する人

2、取りあえず安全地域へ 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
とりあえず安全地域にいる親戚へ行きましょう。そこには水も電気も普通の暮らしもあります。余震におびえることもありません。病院もあります。
役所と自治会長へは、2、3日の内に電話かハガキで、被災者の登録をし、どこに居住しているかを知らせておきましょう。
家へ荷物をとりに行ったり片付けたい時は、1人だけあるいは2人だけ避難所暮らしをするのもやむをえません。
備蓄の三要素
ライフラインが止まって困ったのは、水・食料・トイレでした。特にトイレは忘れがちですが、どこもトイレで困りました。家庭、地域でトイレをきちんと用意しておく必要を感じました。

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3、厳しい避難生活 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
厳しい真冬の避難所生活。「血尿や下痢を訴える人が多い」救護所の看護婦さんが眉をくもらせます。着のみ着のままの人たちに最初に支給されたのは、薄い毛布1枚でした。教室や体育館の床はコンクリートか板敷きで冷たく、食料も充分でなく、体力は消耗していきます。インフルエンザがまん延し、咳が一晩中避難所内に響きます。「できれば簡易ベッド、せめて畳かマットレスを」地震は夏だけではありません。行政も冬を想定し、暖房器具や敷き毛布、温かい食べ物や寝具など冬用の対策も必要です。国民を“難民”にしてはいけないのです。

4、避難所にはプライバシーもない。避難所運営委員会を設置し予め定めておいてほしい避難所運営規定
体育館のあかりはつけっぱなし、足音、子供の泣き声、あちこちで聞こえる咳やイビキ。隣との境もなく足がぶつかり合ったり、寝返りをうつのも気を使います。食べるのも着替えるのも皆の中。役所の人、マスコミの人がずかずか入ったりして、一瞬たりと気の休まる時がありません。同じ境遇に連帯感を感じたのもつかの間で、皆がいらいらし、物資の配給などで、あちこちでいさかいが始まりやすくもなります。行政の防災対策に、長期の避難所生活への配慮が望まれます。人間らしい心づかいや優しさが、家を失い、家族を失った人たちに対する最低限の礼儀ではないでしょうか。また、事前に自治会等で避難所運営委員会を設置し運営規定を定めておかないと、酒や、石油ストーブを持ち込む人、犬や猫をつれてくる人。お年寄り、病人、母子家庭より声の大きい人が占拠してしまう場合もあります。防災対策は全て事前対策なのです。

5、ほしいのは情報 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
家族の安否は?被害状況は?水はどこに?食べ物は?トイレは?営業している店は?行政の施策は?
行政にも状況がつかめない状態の中、民間が頑張りました。本社が使えなくなった神戸新聞は京都新聞の協力を得て、翌日から地域の情報を中心に発行。ボランティアグループが買い物情報など、手刷りのニュースを出し続けました。NHKも連日安否情報を、各新聞は死亡者名を、ラジオ関西も安否情報と生活関連情報を流しました。ラジオがあれば、だいぶ心が落ち着きます。避難所の壁、電柱や民家の塀など、あらゆる所に伝言の貼紙がびっしりです。
情報がないのが一番の不安でしょう。

6、健康な人はボランティアとして 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
被災した悲しみを忘れるかのように働いている人は、明るく前向きです。自分のことだけでなく、地域の皆と一緒に立ち直ろうとしています。
避難所生活が長引くと、皆無力感におそわれます。病人や老人にはヘルパーやケースワーカーが必要であるように、恐怖や不安、絶望で心を病んだ人には心の治療が必要です。ボランティアは、自ら人のために働き、希望を失わないためにも、最も効果的なマインドケアです。共同作業を通じて、支え合う人のつながりを得るという、最良のおまけつきケアなのです。

7、全国から救いの手 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
悲惨な阪神大震災の中で救われる思いがしたのは、全国からの義援金、救援物資、そしてボランティアの人たちでした。
全国の各自治体からは、水や食料や毛布などを積んだ救援部隊が駆けつけました。各企業からはその営業品目の特徴を生かした、医薬品、仮設トイレ、食品、懐中電灯、ストーブ、粉ミルク、紙オムツなどの物資。それだけではありません。上下水道、ガスなどの点検補修要員や、建設機械とともに熟練オペレーターも来ました。その他、応急復旧作業に関わる多数の人員が派遣されました。救援のための休暇を保証した会社もあります。

8、ボランティアの活躍 阪神大震災、阪神淡路大震災、阪神・淡路大震災に学ぶ、過去の震災の教訓、阪神大震災の教訓、
避難場所で、公園で、路上で、その他あらゆる所でボランティアが活躍しました。特に若い人たちの自発的個人参加は見ていて胸が熱くなるほど嬉しいものでした。水汲み部隊、炊き出し部隊、ドラム缶風呂、トイレ掃除隊などのグループが活躍しました。また、医療や老人介護、外国語のできる人は避難者通訳など、特技を生かした個人ボランティアも頼もしい存在でした。生協や労働団体、宗教、政党、市民団体など、各種の団体も組織的にボランティアを派遣しました。災害発生直後は水、食料、トイレなど、生きるための最低限のものが必要でしたが、その後、行政が対応してくると、行政の手の回らない部分をボランティが補っていました。「パンク無料修理」で大忙しの外国人グループもありました。ひときわ喜ばれたのは、「入れ歯をすぐ作る」歯医者さんグループや、「メガネ修理隊」「無料散髪隊」の専門家グループ。バイクや自転車の「無料運送連絡隊」はその機動力を生かして走り回りました。

9、大地震はいつどこでも発生する可能性がある、小さな地震に備えるのではなく、自分たちの地域が震度7に襲われる事を想定すべきです
日本全国に活断層がたくさんあります。今わかっているだけでなく、海底にも陸地にも無数にあります。2000年10月に発生した鳥取西部地震も直下型の地震でしたが、この地震を起こした活断層は今までに知られていなかった活断層地図にも載っていない場所で発生しました。また、日本周辺にひしめき合っているフィリッピンプレート、太平洋プレート、ユーラシアプレートなどプレートとプレートの間で発生する巨大地震も懸念され、日本周辺ではいつどこで大地震が発生してもおかしくない状況にあります。過去100年間を振り返っても100人以上の死者を出す大地震が19回も発生しています。約5年に一度は大地震に見舞われている世界有数の地震国なのです。現段階で地震の直前予知ができると言われているのは東海地震だけです。それも100%予知できるかは多少疑問もあります。いずれにしても大地震が突発的に発生する事を前提に準備する必要があるのです。ほとんどの自然災害は大地震に備えておけば対応できるものです。小さな地震に備えるのではなく震度七に襲われても揺るがない「災害に強い街づくり」が大切なのです。

10、自助努力、互助努力そして行政と連携し、自分と家族は自分が守り、自分たちの街は自分たちで守るのです
ライフラインと言う言葉がありますが、それらは電気、水道、ガス、道路、鉄道などラインで結ばれているものをいいますが、これからはライフスポットの考え方が大切です。ライフラインはどこかが途切れてしまうと役に立ちません。家庭は家庭で生き残り、地域は地域で生き残れる対策や準備が必要なのです。ライフラインのように自分たちの命や生活をいざっと言うときに他力本願で守ることはできません。災害対策はセルフディフェンスが基本なのです。
全ての安全は事前対策で決まります。不安列島に住む以上、そこに住むための努力が必要なのです。治にいて乱を忘れずの言葉があります。普段から向こう三軒両隣のコミュニティづくりも忘れてはなりません。災害時、遠くの親戚より近くの他人の協力こそ大事なのです。
水や食料の備蓄はもとより、我が家の耐震診断、耐震補強、家の中の家具や電化製品の転倒防止対策、ガラス飛散防止フィルムの貼付などと共に、家族の連絡方法(災害伝言ダイヤル171)など誰にでもできるところから始めて欲しいのです。

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近畿地方に地震は来ない、日本の高速道路は耐震性がある?根拠のない安全神話に惑わされてはならない
 1989年のサンフランシスコ地震、そして1994年のロサンゼルス地震のとき、多くの高速道路や橋が崩壊した。その時、日本の道路・土木・政治関係者たちは口を揃えて「日本の道路などは耐震性があるから、関東大震災級の地震に襲われてもどうってことはない」と豪語した。そのロサンゼルス地震からちょうど1年目に襲った阪神大震災では、阪神高速道路をはじめ、新幹線の橋脚などとともに、根拠のない安全神話は一瞬にして崩れ去った。阪神大震災後の彼らのコメントは「考えられない災害でした」と臆面もなく言った。考えられなかったのではなく、ただ考えなかっただけなのである。そして、誰も責任を取らないのである。
 希望や願望は決して権利ではない。世の中に絶対などないのだ。すべての災害対策は事前対策である。地球にやさしくなどというが、地球は決してやさしい星ではない。台風、竜巻、地震など自然災害に対し、人間は驕り高ぶってはならない。謙虚に第三者の目で複合的に判断して阪神大震災の教訓を生かし今すぐ抜本的対策を講じるべきである。

警告!連続大地震に備えよ
 
阪神・淡路大震災は多くの人的、物的被害を出しました。しかし、地域的には局地的であり、地震の規模も7.2と巨大地震とはいえない地震の規模でした。阪神・淡路大震災後、各自治体では直下型地震などの被害想定を見直しその対策策定を行いました。これは一つの教訓を生かした結果だと評価できます。しかし、現在の地域防災計画や地震防災対策は、地震が全て単独で発生することを前提としていますが、過去の事例を見れば、必ずしも大地震が単独で発生する保証はありません。例えば、1707年の宝永地震(推定M8.2)は、東海地震と東南海・南海地震が同時に発生したものと推定されているし、1854年の安政東海地震(推定M8.2)の32時間後には安政南海地震(推定M8.2)が発生するなど、有史以来巨大地震が同時または短時間に連続して襲っています。単独地震発生だけを想定し、救援隊、救援物資、応急復旧などの支援体制をあてにしていると大変なことになります。連続巨大地震が日本の2/3ほどの地域を襲ったとしたら、自衛隊、警察、広域消防援助隊などが全部の地域に迅速な対応ができるとは思われません。各自治体ではそうした広範囲に連続巨大地震発生をまったく想定していないのが実情です。支援をあてにした防災計画では連続大地震に襲われた時、不測の二次災害を生じさせる恐れがあります。
 防災対策は「悲観的に準備をし、楽観的に行動する」のがセオリーです。最悪を想定してこそ本当の防災対策であり、自分たちの地域は自分たちで守るための対応策を予め準備することが急務であると思います。