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防災・危機管理心理学

 防災・危機管理を進める上で心理学の視点を抜きにした対策やマニュアルは意味がありません。災害が発生したとき人間はどんな心理状態に陥り、とっさにどんな行動をとるのでしょうか?
 例えば、煙が充満しつつあるのになぜ避難しなかったのか、津波警報、洪水警報、避難勧告が発表されても多くの人々が避難しないのはなぜか。こうした緊急時における人間の心理を検証し、組み込まない限り実効性のある対策は困難であり「安全の死角」をなくすことはできないのです。世界中の災害現地調査を実施してきて、突発災害や不測の事件・膜フに巻き込まれた人たちに共通する興味深い結果を得ました。防災対策やマニュアル作成をするときにこうした心理学的防災・危機管理を活用し、被害軽減に役立てるべきと思考します。防災・危機管理アドバイザー山村武彦

詳細は「人は皆「自分だけは死なない」と思っている」防災オンチの日本人(宝島社)をご参照ください

韓国地下鉄火災事件における「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」
 2003年2月18日午前9時13分、通勤ラッシュが一段落した韓国・大邱市の中央路駅で地下鉄放火事件が発生しました。この事件で約200人の尊い人命が奪われてしまいました。公表された写真の中に、焼ける前の地下鉄内で乗客が出火後の状況を写した写真(左)がありました。煙が充満しつつある車内に乗客(10人くらい)が座席で押し黙って座っているという不思議な写真でした。
 それを見てまず「なぜ逃げようとしないのだろうか」と疑問に思いました。そして、これは「多数派同調バイアス」(majority synching bias)と「正常性バイアス
」(Normalcy bias)によって非常呪縛(Emergency spell)に陥ってしまったのではなかろうかと思いました。
 バイアス(bias)というのは、心理学的には「偏見」「先入観」「思い込み」などと定義されています。「多数派(集団)同調バイアス」と「正常性バイアス」は認知心理バイアスのひとつです。そのほか、突発的事象に対応できない「凍りつき症候群」などもあります。
 煙が駅と車内に充満したとしたら、心の警報が鳴り響き、直ちに避難するなどの緊急行動をとると思うのが自然です。しかし、過去経験したことのない出来事が突然身の回りに出来したとき、その周囲に存在する多数の人の行動に左右されてしまうのです。それはその人が過去様々な局面で繰り返してきた行動パターンでもあるのです。どうして良いか分からない時、ほかの人と同じ行動を取ることで乗り越えてきた経験、つまり迷ったときは周囲の人の動きを探りながら同じ行動をとることが安全と考える「多数派同調バイアス」(集団同調性バイアスともいう)の呪縛に、心が支配されてしまうのです。
 こうした心理に陥り、同じ境遇に陥った乗客同士が相互にけん制し合い、相互間に同調性バイアスが働いたものと考えられます。加えて、こんなことは起こるはずのない信じられない出来ごとと捉え、リアル(現実)ではなく今、目の前に起きていることはヴァーチャル(仮想)か、何かの間違いか、訓練なのではないか、これは異常ではなく正常という心理が働き、「異常事態」というスイッチが入らない状態、つまり異常事態をも正常の範囲内ととらえてしまう「正常性バイアス」に陥っていたものと思われます。異常と認めればすぐに何か行動を起こさなければならないが、正常の範囲と思っている間は何もしなくていいからです。また正常を期待する本能もあるので、つい無意識に楽な方を選択してしまう。元々「正常性バイアス」はひとの心を守る安全装置のひとつです。小さなことで反応していれば心の平穏が保てませんので、些末なことで自分に直接影響のないことは、正常の範囲と自動認識する仕組みがあるといわれています。
 ある番組で、この写真に写っていた人のうち助かった若者を探し出し、その時の心理状況を聞いたところ「最初は、まさかこんな大変な火災が発生していたとは思わなかった」「みんながじっとしているので自分もじっとしていた」と話していました。まさに、正常性バイアス、多数派同調バイアスという認知心理バイアスに陥った結果だったのです。その後、誰かが『火事だ!』と言ったので、慌ててガラスを割って逃げて助かった、ほかの人のことは分からない」とのことでした。

防災無線、非常放送の緊急メッセージは「凍りつき症候群」の呪縛を解き、心の緊急スイッチを入れる内容に
 前述のように極限における「凍りつき症候群」などが、逃げ遅れなどを引き起こし、多くの犠牲者を出しています。ですから大切なのは発災時「日常」から「非日常」、「平常」から「非常」、「通常・正常」から「異常」へ心を切り替える訓練をすることなのです。特別の力が働かない限り同じ運動を繰り返すという、運動の「慣性の法則」がありますが、日常においても人は日常生活が平穏に継続する時空に棲んでいます。いわば「日常継続思考の法則」という慣性が働いています。ですから、突発的な出来事が起きたとしてもすぐには対応できないし、できれば対応したくないのです。何らかの力を外部から与える事によって、はじめて臨機応変の行動に移れるのです。
 発災時における防災無線、非常放送などに期待されるのは「リスク予兆認知バイアス」の非常呪縛から解放し、緊急桝ヤスイッチをONにすることなのです。そして、リスクの早期「気づき」を促進するためには、実戦的防災知識、意識付け、訓練が重要です。特にリーダー、行政、マスコミ、企業は、従来の緊急メッセージ内容などを検証し早急に改善することが、犠牲者を軽減する大きな役割を果たすと思うのです。
従来型防災無線メッセージでは「正常性バイアス」や「非常呪縛」から解放されることはありません
 1981年10月31日午後9時3分ごろ、神奈川県平塚市の同報無線スピーカ45箇所から突然、ドイツ歌曲「野ばら」のメロディが流れた後、次のような市長メッセージが流れました「
市民の皆さん、市長の石川です。先ほど内閣総理大臣から大規模地震の警戒宣言が発令されました。私の話を冷静に聞いてください。現在、本市では、警戒本部を設置して広報活動、いわゆるデマ対策や交通規制などの対策に全力を挙げております。市民の皆さんもぜひ協力してください。何と言っても市民一人一人の冷静な行動がこれからの対策の鍵となります。そこで、市民の皆さんにぜひお願いしたいことがあります。第一は、ラジオ・テレビの放送や市の広報無線に注意して正確な情報を得ることです。そして、身の周りの安全を確かめてください。第二は、地震で最も恐ろしいのは、火災による被害です。火の使用を自粛してください。第三は、当座の飲料水、食料、医薬品などを確かめて、いつでも避難できるように準備してください。繰り返してお願いします。いろいろ不安はあろうかと思いますが、市としては、適切に情報をお送りしますので、皆さんあわてず冷静に行動してください
 この誤報メッセージを防災無線で聞いたり人づてに聞いた市民は20.1%でした。昭和56年の平塚市人口は218,285人ですから、約4万人の市民が警戒宣言発令を知ったことになります。果たして市民はどんな行動をとったのでしょう。東京大学新聞研究所の平塚住民調査によれば、知った人のうち実際に警戒宣言発令を信じた人はたった3.9%(約1560人)であり、半信半疑の人は10.0%(約4,000人)で、cりの市民(約36,000人)は、全く無視したか信じなかったということでした。誤報とはいえ、相当な費用をかけて毎年訓練をし、広報活動をしてきたにもかかわらず、午後9時ニいう時間帯にもかかわらず、聞かなかった人(聞こえなかった人)が80%というのも「防災無線」「警戒宣言伝達等」のあり方に課題を残しました。それより何より、市長メッセージを知った人の大部分が信じなかったということに注目すべきです。そして、信じた人でも、その60%以上は何もしなかったという惨憺たる有様だったのです。
 前述のメッセージ内容ではほとんどの市民の「緊急スイッチ」を入れることはできません。「非常呪縛」から解き放つこともできないのです。メッセージを聞いて感じるのは、まず長いこと。パニックにしないことだけを意識した内容に終nしていること。これは、行政そのものが予知情報による「情報バイアス」「パニック過大評価バイアス」の「非常呪縛」に侵されていることの証明でしかないのです。
過求Aこうした予知情報が流されると必ず社会パニックが起こるとマスコミは喧伝していましたが、予知情報でパニックなど決して起きはしないのです。起きもしないパニック対策、デマ対策を優先するあまり、毒にも薬にもならない内容になってしまったのです。これは、平塚市だけでなく、全国のどの市町村の防災無線メッセージにも共通する「防災の死角」なのです。

川治プリンスホテル火災における「正常性バイアス」
 火災などが発生したときにも同じような事態が発生しました。1980年11撃Q0日15桙R0分、栃木県川治温泉の「川治プリンスホテル」で火災が発生しました。ちょうど紅葉の季節でバスで紅葉・閧yしんだあとホテルに到着しました。東京の「A」「B」二つの老人会の人々は、それぞれの部屋でテーブルを囲みお茶を飲んで休んでいました。
 その時、突然火災報知器が鳴り響きました。しかし、「A」という団体の人たちは、こんな昼間に火災が起こるはずがない「誤報だろう」と、そのままお茶を飲んでいたようでした。この人たちはその後急激に充満してきた煙に巻かれ、テーブルの周囲で遺体で発見されるのです。一方、「B」という団体のリーダーは、ベルが鳴った直後「何があったのだろう」と言って「ちょっと様子を見てくる」と気軽に立ち上がって行きました。そして階段付近まで行くと煙が見えたので「これは大変だ」とすぐさま部屋に戻りみんなを煙の少ない階段を使って無事避難させることができました。このように「A」の人たちは「正常」から「異常」のスイッチが入らない状態「正常性バイアス宦vに侵されていたと思われ、「B」のリーダは「ベルの鳴動」イコール「異常」のスイッチが入り、「正常性バイアス」から解放され難を逃れることができたのです。「行楽」という「災害」と対極にある開放感の中で、緊急桝ヤに遭遇するとは誰も思いません。自分たちが災害に巻き込まれるはずがないと思うことは当然です。しかし、それは希望や願望であって決して権利ではないのです。災害列島日本に住む以上、いつ、どこでどんな災害に襲われるか分からないのです、今の世の中で「絶対安全」などという神話はどこにもないのです。防災・危機管理対策や、緊急行動マニュアルを策定する場合「防災行動心理」を充分考慮する必要があるのです。

防災対策が進まない理由のひとつに「認知不協和」
 行政は助成金などのインセンティブをつけて住宅の耐震化を推進していますが、一向に盛り上がらず住民が自ら耐震化を積極的に行おうとする傾向は見られません。その結果、せっかく準備した予算すら消化できない地方自治体が多いのが現実です。「近い将来大地震が発生すると思いますか」と聞くと、80%以上の人が「ハイ」と答えます。それなのに「なぜ耐震対策をしないか」と不v議に思います。そこには市民の隠された防災心理があります。「地震が発生する確率が高い」という認ッと同時に「このままでは自宅が倒壊する恐れがある」それなのに「ゥ分は何もしていない」とすると、そこに受け入れがたい矛盾が生じます。その矛盾を解決するためには自分に都合のよい言い訳を見つけます。「大地震が着たからといって、すべての家がつぶれるわけはない」「すべての場所が震度7になることもない」「阪神・淡路大震災のとき、古い家でも倒れなかったものもあった」「だから、たぶん自分の家は大丈夫」という風に、懸念を軽減するための魔法の言葉を都合よく捜し、それにすがって矛盾を解決し心の安らぎを得ようとするのです。これを心理学では「認知不協和」といいます。
 実際には矛盾(認知不協和)は何も解決されているわけでなく、とりあえず目先の不安を考えないようにするための方便を自らつくりだし心のバランスをとるのです。この何の根拠もない「安全の思い込み」がある限り、防災対策を必€で考えようとしないのです。こうした考え方を払拭させるためには、都合のよい思い込みを超える意識付け、インパクトのあるモチベーションを持たせることしかありません。今、行政や企業がコストとエネルギーを傾注しなければならないのは、住民や社員への意識啓発です。箱物やシステムを作るよりも、防波堤を高くすることよりも、まず一人ひとりの危機意識を目覚めさせ心の堤防を高くすることだと思います。