1960年チリ地震津波の知識と教訓スマトラ沖地震津波津波の注意標識稲むらの火奥尻島の津波防災システム研究所山村武彦

2010年チリ地震

・50年目に再びチリ大地震
 2010年2月27日3時34分、チリ共和国中部コンセプシオン沖を震源とするM8.8(USGS・米国地質調査所は当初モーメントマグニチュード8.3と発表その後8.8に修正)(当初気象庁は気象庁マグニチュード8.5と発表、その後8.6に修正)。震源の深さ35Km。この地域は南米西側に横たわるペルー・チリ海溝に太平洋側のナスカプレートが大陸側の南アメリカプレート下に沈み込む場所で、1960年5月24日にはM9.5の巨大地震をはじめ過去繰り返し海溝型大地震が発生している場所である。被害の多かったコンセプシオンが州都のビオビオ州及びマウレ州は、共にアンデス山脈から注ぐビオビオ川、マウレ川の流域に発達した沖積層地盤の上にあるため、震度6強程度の激しい揺れと長周期地震動に見舞われたものと推定されている。東北大学今村教授の調査によると、チリ海岸の津波は最大27m(コンスティトゥシオン)もの高さまで押し寄せたとされる。また、土木学会の現地調査では津波の河川遡上が確認されている。津波は河口(川幅数百メートル)から5Kmさかのぼった地点で、海抜6.1mの高さまで植物がなぎ倒された跡があったという。津波の高さなどからさらに上流にさかのぼったものとみられている。
・チリ地震によって日本で大津波警報
 この地震後に発生した津波はハワイ、日本まで波及し、日本では北海道南西沖地震(1993年)以来17年ぶりに大津波警報が発表され、各地域で避難指示、避難勧告などが発表された。しかし、避難指示を受けた世帯で実際に避難した世帯数は全体で約5.8%と極めて少なく、警報軽視、防災意識低下などと気象庁の津波警報精度向上など多くの課題が明らかになっている。
・チリでは海軍が津波警報を出さず
 地震直後に太平洋津波警報センターから津波襲来の警告を受けていたにもかかわらず、チリ海軍は津波警報を出さなかった。そのため、津波被害を大きくしたと思われる。被災者救援の遅れ、救援物資の遅れなど政府への批判が強まっている。3月5日、チリ政府は政府非難の矛先を和らげるためか海軍の責任者更迭を発表した。
・突然!死者数を下方修正?
 この地震による激しい揺れや津波によりで多く建物が崩壊し、当初チリ政府は802人が死亡、被災者は200万人(3月3日現在)と発表していた。しかし、3月4日になってバチェレ大統領は、被害の多かった中部マウレ州の死者数を587人から316人に下方修正したと述べた。また、身元が確認された遺体は279であると発表された。しかし、一部地域ではまだ瓦礫の下敷きになっているい人がいるとして、犠牲者の数はまだ確定していないと推定される。政府機能及び地域行政機関が混乱していることを示している。
・略奪・放火など治安悪化
 被災地には救援物資が届かず略奪、放火など治安が悪化しており、3月1日から夜間禁止令が発令されている。チリ政府は治安回復のため軍部隊1万4千人規模を増強するとしている。また、刑務所から270人が地震の混乱に乗じ脱走したが、そのうち90人が逮捕され190人はいまだに逃走中。逃走中の受刑者と見られる強盗が頻発しているという情報もある。
 日本政府が派遣しようとした国際緊急援助隊医療チームについて、チリ政府から治安悪化を理由に派遣見合わせが要請され、日本政府はしばらく派遣を見合わせることにしたと発表。チリのバチェレ大統領は国際社会に衛星電話などの通信機器、移動式の橋、自家発電機などの提供を呼びかけた。これに応えて国連からの機材が2日中にもチリに届く予定という。 米国クリントン国務大臣は3月2日首都サンティアゴを訪問しバチェレ大統領に衛星電話20台、医療物資などを届け「チリ政府が望む支援を行う」と語った。 
犠牲者のご冥福をお祈りすると共に、そのご家族及び被災者に心よりお見舞い申し上げます





















山村武彦の津波・洪水 防災三か条
1、「グラッときたら、津波警報!津波・洪水逃げるが勝ち!
 
地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って1秒でも早く、1mでも高い高台に避難することです。誰かに言われて避難するのではなく、防災訓練と思って自分が最初の逃げる人になるつもりで避難を開始してください。
 津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」「津波や洪水は逃げるが勝ち」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。地震後、大声で「津波が来るぞー、早く逃げろー」と大声を上げながら駆け足で逃げてください。人は誰かが逃げるとつられて逃げるものです。あなたの声が「津波警報なのです」
2、
「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」
 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「ここは過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。防災訓練と思って声を上げながら、駆け足で避難してください。

3、「健常者は車は使わず・遠くより、高く、一度避難したら戻らない」
 
「津波は高台へ逃げるが勝ち」、しかし海岸付近にいて、高台まで避難できそうもないときは、ビルの4階以上に避難させてもらうことです。地域によっては海岸線にあるビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。車で避難するのは条件付きで危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき、奥尻島では車で避難しようとした人たちが続出し、狭い道路が渋滞しているときに津波に襲われ、車ごと津波に飲み込まれ多くの犠牲者を出しました。(しかし、高齢者や障害者は短時間に高台に避難するには車しかありません。ですから健常者は極力駆け足で避難して要援護者の車が渋滞しないように心掛けてほしいと思います)。いったん避難
したら、第1波が小さかったからといって自宅へ戻ったりしないことです。津波は繰り返し襲ってきます。警報が解除されるまでは「念のため避難」を続けましょう。

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