互近助さんの歌防災講演阪神・淡路大震災災害現地調査東日本大震災防災システム研究所公式ホームページ

山村武彦の提唱する「近助」「互近助」「防災隣組」

近助(きんじょ)・互近助(ごきんじょ)
 ひとは一人では生きていけません。それぞれの存在によって社会が成り立っています。だからこそ「自分でできることは自分で対応」が基本です。しかし、身体が不自由であれば自分でできることに限りがあります。誰でも病気になるときがあります、誰でもいつかは歳をとります。でも、病人、高齢者、障がい者になりたくてなった人は一人もいません。可能な限り自分のことは自分でした上で、それでも対応できないときは隣人や行政に助けを求めていいのです。今元気な人も、歳を取ればいずれ助けられる人になります。元気なうちはできる範囲で助ける人になっておきたいものです。
 苦しい時、しんどい時、困ったときは、一人で悩まないで、近くにいる人や行政に相談していいのです。隣人同士どこかで迷惑をかけあい、助け合いながら生きているのです。それがお互い様というものです。べたべたした付合いはせず、プライバシーに深入りせず、普段から気持ちの良い挨拶ができる「ほどよい距離感」で、隣人に少しだけ関心を持つことです。地域だけでなく出先でも、学校でも、会社でも、隣人が困っているな、変だなと思ったら、近くにいる人がためらわずに声をかけ、助ける人になる、傍観者にならない心、それが「近助(きんじょ)」です。さらに互いに近くで助け合うことを「互近助(ごきんじょ)」と呼んでいます。この言葉は1990年頃に私がつくった言葉で、これまで講演やメディアで発信してきました。
 そして、互近助という考え方(思想)は、個人だけでなく、地域、自治体、国家間にも欠かせないマナーであり礼節です。お互いの間にあるボーダー(境界)を超えて同じ人間同士、同じ時代、同じ惑星で生きる運命共同体として、困ったときは互いに助け合うという思想です。医薬品、食糧、生活物資が不足した時は、他から分捕ったり他国を侵略するのではなく、素直に助けを求めていいのです。そして、皆は一人のために、一人はみんなのために互いに近くで助け合うのです。苦しい時に助けられた人はそれを決して忘れません。それが戦争のない平和な世界をつくるのだと思います。こうした「近助」「互近助」という考え方が広がっていくことを願っています 山村武彦

 防災は「自助」「共助」「公助」が基本といわれてきました。私はそれに「近助」を加えることを提唱しています。「自助」は、自分や家族を自分で守ることです。また、自主防災組織や自治会などみんなで助け合う「共助」、そして自治体・警察・消防・自衛隊などの「公助」も大切です。しかし、大規模災害時は防災関係機関がすぐに全ての被災者宅に駆けつけることはできません。公助には限界があるのです。またいざという時、不特定多数の「みんな」より、家族、隣人、向こう三軒両隣など、近くにいる人が頼りになります。少子高齢化時代は、みんなで助け合う共助と共に、顔の見える近くにいる人が見守り、近くの人が助ける近助が不可欠です。自治会や自主防災組織の中に向こう三軒両隣の防災隣組をつくるといいと思います。地域だけでなく、学校、職場、出先などその場その場の近助の実践が重要です。学校でも、職場でもいじめをなくすことができるのは、近くにいる人です。見て見ぬ振りをせず、近くにいる人が助け合わなければ、いじめはなくなりません。電車の中、コンビニなど出先で困っている人がいたら「手を貸します」「お手伝いしましょう」「大丈夫ですか」と気軽に声をかけましょう。こうした近助という思いやりの心が浸透していけば、これからもずっと住み続けたいまちになるのです

※「近助」「互近助」「防災隣組」は、1990年ごろに私がつくって提唱してきた概念・言葉です。

互近助の心
互いに近くの人同士助け合う「互近助(ごきんじょ)」は、困っている人がいたり助けが必要だと思ったら、「手を貸しましょう」「お手伝いします」「大丈夫ですか」「私にできることは?」などと、ためらわずに声を掛けること。自分だけで対応できない時は、近くの人にも声をかけ応援を求めます。元気な人は気持ちよく、できる範囲で手を貸す。いつか自分も助けられる人になるのです。その時、きっと気持ちよく助けを求めることができると思います。それが互近助の心です。近助・互近助という言葉は私が50年以上行ってきた世界中の災害現地調査から得た知見を教訓につくった概念(言葉・思想)です。

 「互近助」とは、向こう三軒両隣の「ご近所同士が積極的に助け合うこと」です。 1995年の阪神・淡路大震災を例に挙げます。この地震では、家屋などの倒壊でなくなった方が大半を占めました。神戸市消防局が神戸市民850人に行ったアンケートによると、阪神・淡路大震災で地震直後、閉じ込められた人の救出・救助に当たったのは「近くの人」と答えた人が60.5%と圧倒的に多く、次いで家族18.9%、救助隊12.4%という結果になりました。80%の人が、近くの人や家族に助けられていたのです。 一方、亡くなった方のうちの92%が地震発生から14分以内に亡くなったっていたことが分かっています(兵庫県警監察医調べ)。 つまり、早く助けないと助からないということです。それができるのは、近くにいる人だけです。いざという時、頼りになるのは遠くの親戚より近くの隣人です。 
 「助ける」というのは実際に手を差し出して人命を救うことだけではありません。安否確認をしたり、避難をするときに声をかけたりすることも「互近助」です。普段から近くに身体の不自由な人や高齢者、病気の人がいれば、さりげなく見守り、声をかける。 また、自身が高齢者だったとしても、元気であれば要配慮者の代わりに助けを求めたり通報したりすることはできます。そうやって隣近所でお互いを助け合う「互近助」の力が、防災・減災につながります。
 
また、避難先でも助け合いの精神が大切です。発災直後の避難所ではトイレの清掃が行き届かなかったり、物資が不十分だったりする状況での生活は想像を絶するものがあり、避難所で亡くなる方も多くいらっしゃいます。阪神・淡路大震災では3か月間で919人の方が亡くなり、震災関連死と認定されました。 避難所は地域の自治会や自主防災組織の人たちや避難した人の自治運営で成り立っています。元気な人は率先して避難所運営の役割を分担しましょう。これも「互近助」です。
 
防災はモラルです。「被害者にならず、加害者にならず、傍観者にならず」の気持ちのいい「互近助」が、ずっと住みたいまちづくりになるのです。
互近助さんの歌

災害に強いまちづくりは「互近助の力」~隣人と仲良くする勇気~/山村武彦著(ぎょうせい)2019年初版


★「近助の精神」近くの人が近くの人を助ける防災隣組
序章/ほどけた結び目

第1章/自助、近助、共助
第3章/自然災害と想定外
第4章/隣保組織「隣組」の歴史
「近助の精神」近くの人が近くの人を助ける防災隣組/山村武彦著(きんざい)2012年初版

防災隣組10カ条
1、ほどよい距離感で(結び目はあまり固く結ばない、べたべたしない。プライバシーには深入りしない)
2、困ったときはお互い様の心
3、挨拶は先手必勝(相手がしたらしようと思わず、気付いた方から先にいう)
4、気持ちよい前向き挨拶(「嫌な雨」というより「良いお湿り」というように、プラス志向で)
5、日常行事に積極参加・参画(役割を分担する)
6、欲張らないで、身近なことからコツコツと続ける
7、回覧板は、顔見て挨拶しながら手渡しで
8、いざという時は、ためらわないで自分から声かけて
9、向こう三軒両隣で安否確認チーム(同じ時代同じ地域に住む運命共同体)
10、できる人が、できる時に、できることを、無理なく、自分のために、楽しんで

防災隣組(ぼうさいとなりぐみ)
 災害発生直後に全ての家に消防、警察、自衛隊、民生委員が駆けつけることはできません。災害時要援護者を行政職員が助けることも困難です。行政がすべての受け皿になるのではなく、町内会・自主防災会の中に向こう三軒両隣で助け合う「互近助」「防災隣組」という安全の仕組を作ることが大切です。実践する場合に重要なのは「互近助・研修会」を開催するなど、粘り強く一人一人の意識啓発を行うことが先決です。皆が「互近助」の大切さを学び、理解した上で推進していけば「ずっと住みたいまちになります」。

遠水は近火を救わず
★助けることができるのは近くにいる人
 左の写真は阪神・淡路大震災(1995年)発生2時間後に私が撮影した写真です。そのとき、建物の下敷きなどになって自力で脱出できない自力脱出困難者約35,000人のうち、77%は家族や近くの人によって助け出されました。大規模災害発生時、すべてのところへ消防、警察、自衛隊などの防災関係者がすぐに駆け付けることは物理的に困難です。阪神・大震災で亡くなった人のうち約84%は、地震発生後14分以内に死亡しています(兵庫県監察医調べ)。つまり、早く助けなければ助からない、早く助けることができるのは近隣の人たちなのです。
 ことわざに”「遠水」は「近火」を救えず”と言います。どれほど豊かな水があっても、それが遠ければ近くの火事を消すことはできないという意味です。近くの災難を助けることができるのは近くの人なのです。頼りは向こう三軒両隣の隣保共助であり、地域の一人ひとりがそれを理解し認識することが「近助の精神」です。
 従来から地域防災の決め手は「自助」「共助」「公助」とされてきました。共助は自主防災組織へと発展しましたが、その自主防災組織を支え中核をなすのが向こう三軒両隣の防災隣組であり安否確認チーム、つまり「自助」と「共助」の間を埋める「近助」なのです。自主防災組織が非実戦的・形式的組織に陥るのは、この近助が欠落していたからです。場合によっては「近助」は現在の「組」単位の安否確認チームとしてもよいと思います。ただ、従来の自治会連合会、単位自治会の活動はどちらかというと行政の下請け機関に位置付けられているきらいがあります。本当の自治は、自分、家族、隣人、自分たちの地域は自分たちで守るという「究極のセルフディフェンス意識」(近助の精神)に立脚しなければ機能しません。安全・あんしんは行政の仕事などと、他力本願では済まない事は阪神・淡路大震災で実証済みです。本当の安全は誰かに与えてもらうのではなく、自らが努力してこそ得られるものなのです。といっても、一人だけの自助努力には限界があります、地域ぐるみ様々な人たちの協力も必要です。ですから、従来の組織を利活用す場合も、住民一人一人に近助の精神の意識啓発を繰り返し行い理解してもらうことが先決です。みんなが理解し意識が高まれば地域の活性化も生まれてきますので、リーダーや役員は諦めず、怯まず、粘り強く時間をかけて推進することが大切です。
 近助の精神の啓発が進んだ時点で、災害に備えた安否確認チーム・防災隣組を組織し、その上で平時から地域特性に合わせ常時機能させておく知恵と工夫が求められます。近助の精神は、地域の見守り・助け合い、防犯、一人暮らし高齢者への声掛けや、幼児虐待防止など、事件を防ぎ安全・あんしん街づくりの礎(いしずえ)となるものです。さらに、防災隣組・安否確認チームだけでなく、防犯協会、福祉委員、児童委員、婦人会、老人会、青年団、消防団、スポーツクラブ、PTAなど既存のグループ・団体の助けを求め幅広く「近助の精神」を生かしていただければ近助力を高めることができます。

古くて新しい「近助の精神」
 日本には古来から共助の仕組みとして「合力・コーリャク」、「結い・ユイ」など地域共同体・相互扶助の心がありました。これらは主に小集落や自治単位における共同作業の制度でした。田植え、屋根葺きなど一人で行うには費用、期間ともに手に余り多数の労力が必要な作業を集落総出で協力し助け合う相互扶助精神で、伝統を重んじる地域や国、発展途上国など世界各地でも見られる制度です。
 例えば、世界文化遺産に指定されている岐阜県大野郡白川村「白川郷・五箇山合掌集落」のように、茅葺屋根(カヤぶきやね)の葺き替え(ふきかえ)時には材料の手配から葺き替え完了まで村総出で労力の提供を行う伝統的互助組織です。こうした地域には「組」「結い」「合力」と呼ばれる相互扶助の慣習が伝承されてきました。これは単に茅葺屋根の葺き替えだけにとどまらず、冠婚葬祭などのときにも有効に働いています。そして、助けられた人は「結い返し」などと労力でお返しをすることになっていて、そこには「お互い様」の近助の精神と伝統の技法が代々引き継がれ世界遺産となったのです。
 昔は材料のカヤを各家で確保し持ち寄りも含めた結いでしたが、近年はカヤの確保が困難になったため、労力のみの結いとなっています。こうした結いにも現在は三つの方法があると言います。ひとつは地域全体に募る結いと、合掌家屋を持つ合掌保存組合だけに手伝ってもらう「現代結い」、萱葺き技術者が伝統技法を継承するために請け負う「伝統技法結い」など、合掌の大きさや地域事情に合わせた結いが行われているようです。
 そのほか「普請・ふしん」という互助制度もありました。現在は家を建てることを普請といいますが、従来の普請の意味は、普(あまねく)請う(こう)と読むように、広く平等に奉仕(資金・労力)の提供を願うことです。これはどちらかというと公共性の高い社会基盤(道路、建物、河川など)を維持するための相互扶助の活動です。そのほか、ちょっと前まではどこでもは「下町気質」や向こう三軒両隣の助け合いが日常的「絆」として機能していました。それこそ味噌醤油の貸し借りから、急な雨降り時には留守しているものが隣近所の洗濯物の取り込みなどが当然のことように行われていました。
 しかし、時代と共に個人主義が進み生活スタイルや人情までも変わっていきます。コンビニエンスストアなどの発達による便利さは隣人に安易な甘えを許さない状況を作り出し、過剰なプライバシーの権利主張で個人のカーテンを堅く閉ざしてしまいました。その分隣人同士のコミュニケーションや親和感も無用の長物と化していきます。結局一部地域を除きこれら古き良き時代の共同扶助体制や結いの心は影を潜め、協働作業はせいぜい草むしり、道普請、どぶ掃除など町内会行事だけとなってしまいました。中には町内会加入すら忌諱する人たちが急増している地域もあります。
★ほどけた人と人の結び目を結び直す
 人と人の結び目がほどけると「人情喪失」「コミュニティ崩壊」「地域格差」「孤立化「孤独死」などに直結し、無味乾燥のぎすぎすした社会をつくりだしていきます。
 今、安全・あんしん街づくりの一環として、地域の絆を取り戻す必要があるといわれ続けていますがその具体策が見えていないのが実情です。そこで私が提案するのは「近助の精神」「防災隣組」「互近助付き合い」の啓発運動です。とはいってもいきなり「近助の精神」イコール「地域の絆」というわけにはいきません。安全・あんしん街づくりをキーワードに「近助の精神」の普及を図りつつ、いざという時の安否確認チーム・防災隣組を中核として、地域の求心力を回復再生することから始めるとよいと思います。唯一「近助の精神」普及こそがが少子高齢化時代に生きるための「結いの心」「地域の作法」となり得るスピリットです。
★「防災隣組」をつくり、回覧板は手渡しで・・・
 昔、隣組の歌の中に「♪トントントンカラリンと隣組、地震、雷、火事、どろぼう、たがいに役立つ用心棒、助けられたり助けたり♪」という歌詞があります。この隣組は日本の昭和期において、戦時体制下の銃後を守る国民生活の基盤のひとつとなった官主導の隣保組織でした。隣組は敗戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって解体されましたが、一部は回覧板の回覧など区、町内会、組、自治会などの形で今でも引き継がれています。戦前の軍国主義的隣組はいただけませんが、近助の精神に則ったセルフディフェンスとしての自発的防災隣組が「助けられたり助けたり」の「地域の絆」再生に極めて重要な役割を果たすと思考されます。
 「近助の精神」には助けるほうの理解と協力だけではなく、助けられる側の理解と協力も不可欠です。とくに高齢者、障害者、病人など自身と共にその家族などにきちんと趣旨を納得してもらわなければ真の近助にはなりません。共働きの幼児、寝たきり高齢者、独居老人、難病者などそれぞれにそれぞれの事情があります。ですから、防災隣組・安否確認チームを結成した場合は、その家庭事情を良く考慮して対応する必要があるのです。マンションであればフロアごとに「防災隣組」の安否確認チームを作ります。また、自主防災組織や町内会の中に防災隣組の安否確認チームを作るべきです。
 最近某不動産会社が実施した調査では、毎日近所の人と挨拶を交わす人は22%程度というデータがあります。最近は隣近所でも挨拶を交わさない人が増えているようです。コミュニティの絆の度合いも反映されていると思います。絆を取り戻すために私は防災隣組同士で「回覧板は手渡しで・・」と提案しています。最近は回覧板をポストに入れるところが多いようですが、留守の場合はともかく、できるだけ「回覧板です」と声をかけてほしいのです。顔を合わせればひとことふたこと言葉を交わすようになり、また、その家の人がどんな人なのか、いつも昼間は留守なのかなど、たとえわずかであっても隣人の情報を知ることができます。隣組だからといって昔のように味噌醤油の貸し借りなどのような緊密な付き合いでなくてよいのです。普段はほどよい距離感でいいのです。ただし、イザっという時だけは声を掛け合い、安否確認ができるようにするのが防災隣組です。
 こうした災害時要援護者に対し自治体は「災害者要援護者避難支援計画」により、発災時には近隣の民生委員、児童委員、福祉委員などによる安否確認、避難支援を考えていますが、実際には道路が寸断され、火災が発生している中で彼らが駆け付けることは大変困難です。そこで、自主防災組織や町内会などに協力を要請するのですが、そのたびに「個人情報」の壁に阻まれ要援護者名簿が開示されないことがネックとなってきました。しかし、向こう三軒両隣であれば、そして助けられる側の理解が得られれば個人情報の垣根を乗り越えることも可能です。誰でも高齢になれば誰でもが助けられる側になります。同じ時代、同じ地域で生きる仲間の「近助の精神は、お互い様の心でさりげなく、気持ちよく助けたり助けられたりすることが人間としての作法なのです。
★どこでも役立つ近助の精神
 近助の精神は、自宅や周辺地域だけの作法ではありません。学校であればいじめにあっている人、人間関係に悩んでいる人を助けるための「近助」、職場であれば、仕事やパワーハラスメント、セックスハラスメントなど組織の中で困っている人を助ける「近助」があります。また、通勤通学途上や外出途上で助けを必要としている人たちに声をかけ助け合う「近助」もあります。災害発生時、その場その場で自分の安全と同時に隣人の安全確保に全力を挙げようと努力する心も「近助の精神」なのです。
 さらには隣人だけでなく隣国との助け合いを積極的に働きかければ、世界平和にも寄与することができると思います。遠くの国と仲良くするのも大切ですが、近くの国同士助け合うことはもっと重要です。近助の精神は、様々な場面、様々な対象で時と場合を選ばず利活用できる心の持ち方です。被害者にならず、加害者にならず、傍観者にならないための普遍的モラルでもあるのです。

近助の精神の実践
①近くの人を敬い、感謝し、愛おしみ、助ける心
 近助の精神(近くの人を敬い、感謝し、愛おしみ、助ける心)の必要性は理解できても実践することは難しいものです。そこで、日常的に近助の精神を養い、実践するための一例を述べますので、ご参考にして下されば幸甚です。「助ける」という字は「すくいだす」など文字通り人や動物を死の危険や苦痛・災難から逃れさせる意味と、「扶ける」「援ける」とも書き「人を補佐し助力する」「事がうまく運ぶようにする、手伝う」あるいは「ある作用を促進させる」「支える」の意もあります。
☆朝、目が覚めたら:肉親、隣人、今日一日顔を合わせる人(合わせるかもしれない人)を思い浮かべ、一人一人に「いつもありがとうございます。感謝しています」と心の中で真剣に念じます。(いつも顔を合わせている家族に文句ばかり言うのではなく、朝から感謝の念を抱くと自然に優しい言葉が出てきます。世界に約68億人もの人がいる中で、一緒に暮らす家族、離れていても肉親と呼べる人は広大な砂浜の中の数粒の砂を見つけるような希少な存在です。家族でいてくれてありがとう、肉親でいてくれてありがとうと言ってみてください。家族、肉親、隣人、同僚、顧客、友人、知人、出会った人に心の底から敬意と感謝の気持ちを伝えてください。世の中に感謝に値しない人は一人もいないのです。あなたの真心込めた感謝の気持ちは必ず自分の表情や態度に表れ反映します。すると、いつか相手の表情や態度が変わってくるものです)
 身近な人へはついつい甘えが出て、当たり前のような気がして感謝する気持ちが薄れがちです。でも、一番大切なのが身近な人たちなのです。その大切な人だということを相手にきちんと伝えることが「近助の精神」の第一歩です。そして、高齢者、乳幼児を抱えた人、病人など、近隣で困っている人がいたら、遠くの仕事よりまず近くの人に手を貸すことを最優先にすべきです。
☆通勤、通学、外出時に:バス、電車、歩いている途上にすれ違い出会う人々、隣り合わせになった人々、顔を合わせた人、言葉を交わした人に感謝の念を送ります。(袖すり合うも多生の縁、人類の歴史の中でほんの一瞬である今、同じ時代、同じ地域で、同じ時間に生き、すれ近い、隣り合わせ、言葉を交わすという確率は奇跡的な確率なのです。奇跡的なご縁を頂いたこと、その人に感謝の念をもつことは極めて自然なことなのです)
☆もし、隣人が困っていたら:奇跡的な確率で出会った人が、もし困っていたら、助けが必要であると思われたら、声をかけ、手を貸すのが感謝を表す適切な行動です。一人で手に負えないと思ったらら、奇跡的な確率で周囲にいる人に大きな声で「手を貸して下さい」と応援を求めるのが「近助の精神」です。
☆一日の終わりに:眠りに就く前に:今日出会った人を思い浮かべ心の中で感謝の言葉を述べます。そして、一日無事に過ごせた自分にも感謝します。感謝から始まり感謝で終わる毎日、その日常が「近助の精神」なのです。
☆それぞれの立場で、力まず、さりげなく「かけた情けは水に流し、恩は石に刻む」
 その他、気付いた時、ゆとりのある時には近隣をきれいにするための行動など、それぞれがそれぞれの考えで近くを大切にする気持ちを持つことが結果として、地域や職場を明るくすることになると思います。肩に力を入れず、それも自分の考えを他人に強制したり押し付けたりせず、人が見ていないところでも静かに隠徳を積むことが大切です。そして、相手の負担にならないように「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」姿勢で臨みたいものです。

ありがとうございました。最後までお読み下さり心より感謝申し上げます:山村武彦

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