|東日本大震災阪神・淡路大震災防災システム研究所現地調査写真レポート

2016年熊本地震(速報)
現地調査写真レポート:文・写真/山村武彦

写真及び文章等は許可なく転載、複写はご遠慮願います/防災システム研究所合同会社 

 2016年(平成28年)4月14日21時26分に熊本県熊本地方を震源とするM6.5の地震が発生。益城町(ましきまち)で震度7の強い揺れを観測。その2日後の4月16日1時25分にも同地方を震源とするM7.3の地震が発生し益城町と西原村で震度7が観測された。
 気象庁は16日の記者会見で14日の地震が前震、16日の地震が本震と発表。16日以降も熊本県阿蘇地方や大分県でも規模の大きな地震が相次いで発生した。
 私は15日の朝から現地に入り益城町などで取材活動を開始。16日未明の本震のときは熊本市内のホテルの4階で就寝中にドーンと下から突き上げる揺れに襲われた。それは過去に経験したことのない前後左右の強い揺れであったがホテルは鉄筋コンクリート造りで、エレベーターが止まり壁にひびは入ったが被害は軽微その時点で阿蘇大橋が落下したという情報が入り、そのまま南阿蘇村に向かった。
 一連の地震の震源は約10㎞~12㎞ときわめて浅かったため、震源に近い地域では建物崩壊や土砂災害などが発生し大きな被害を出している。14日の地震でいったん避難所に避難した人が、停電が復旧したのでもう大丈夫と翌日家に戻り、片づけなどして寝ていた人が16日未明の地震で1階が倒壊し犠牲になった人も多かった。
 また、強い揺れが波状的に襲ったことにより最初の地震では一見ダメージを受けていない建物が、16日の地震で倒壊している。こうした連続地震の影響か築年数が浅い比較的新しい建物(新耐震基準)までもが倒壊したのも今回の地震の特徴の一つである。
★この地震による主な被害(2016年9月13日現在)
・死者/50人
・関連死/41人
・負傷者/約2,000人
・避難者/最大約20万人
・損壊建物/約14万棟
犠牲者のご冥福と被災者の一日も早い生活再建をお祈り申し上げます

↑益城町上陳地区/右横ずれを示す地表地震断層
(布田川断層を境に麦畑の向こう側が約2m右へずれたものと推定されている)
この地域の人たちは断層の存在は知っていたが、まさか本当に動くとは思っていなかったという
 
↑キャベツ畑も(向こう側が右横ずれを起こしている)

 
↑ 石垣が多数壊れるなど熊本城の被害は甚大
 

↑熊本市内の水前寺成趣公園の石灯籠
 
 ↑地下水の影響か半分干上がった水前寺公園の池
(5月中旬から水位は戻り始めた)

 
 4月15日午後撮影
熊本県益城町惣領地区
4月16日午後撮影
14日の震度7に耐えた建築中建物、16日未明の震度7の地震で倒壊したと思われる
柱を固定している補強金物が引きちぎられていた
震度7が2回襲った益城町では最初の地震で柱と柱を固定する建築金物が緩み
次の地震で倒壊する「スリップ挙動」が発生したものと考えられている

 ↑4月15日に撮影
熊本県益城町惣領地区
4月16日に撮影

一般的にコンクリート電柱は震度6強に耐えるとされてきたが
益城町では震度7(14日)の地震で電柱折損が多くみられた

 
新耐震基準でしかも 2000年以降に建築された建物が多く倒壊した。
(日本建築学会九州支部の調査で、益城町で2000年以降建築とみられる建物51棟損壊確認)

 

 本震(4月16日)は、1サイクル0.8秒~1.5秒(弾性加速度応答(G))の周期が卓越(筑波大学・境教授)この周期の揺れは低層建物に大きなダメージを与えるキラーパルスと呼ばれる。この揺れにより多くの低層建物が倒壊した可能性がある。また、建築基準法の耐震基準には「地域別地震係数」があり、東京を1とすると熊本市0.9、八代市0.8。つまり、地震発生確率などにより東京よりも熊本の方が耐震基準が低い設定ということになる。耐震等級1は「極めて稀に(数百年に一度程度)発生する地震による力に対し、倒壊、崩壊しない程度」。数百年に一度程度は一般的に震度6強~震度7の揺れで構造躯体が崩壊しない強さと考えられている。それは東京の場合であって、熊本ではそれより10%低くても耐震基準をクリア出来ることになる。
 倒壊した建物と耐震基準・地域別地震係数との因果関係は今後の調査と精査に待たなければならないが、全国どこでも地震が発生する可能性があるのであれば、建物の耐震地域格差は排除すべきである。東海地震を警戒してきた静岡県だけは東京1に対して1.2と独自の耐震基準を設けている。
地域別地震係数(国土交通省告示1793号)
 その地方における過去の地震の記録に基づく震害の程度 及び地震活動の状況その他地震の性状に応じて国土交通大臣が1.0~0.7までの範囲内で定めた各地域の地震係数(Z)をいう。(地震地域係数と呼ばれることもある)

 

 

倒壊したブロック塀にはほとんど鉄筋がみられない

 

 
マンション渡り廊下損壊(エキスパンションジョイントが正常に働いた?)
15日の震度6強の地震で、気象庁は最も高いレベルの長周期地震動階級4の観測を発表。
 

 

 
熊本県は4月30日に「被災建物応急危険度判定」で立ち入りが「危険」と判定された建物は、4月29日現在で1万2013件に達したと発表。この時点で、これまで最多だった東日本大震災の1万1699件を上回った 。

↑ 建物損傷はなくても擁壁損壊や液状化などにより危険宅地と判定された建物は2,707件に上る。(被災建物応急危険度判定と同じように被災宅地応急危険度判定も急務)

 
 熊本方面から南阿蘇村に通じる道路崩壊(南阿蘇村立野地区)
阿蘇大橋なども落ち、熊本側からの道路が寸断された
 
 南阿蘇村マップ

 
地震の揺れによる大規模土石流が阿蘇大橋を落橋させた
 
 地震の揺れによる大規模土石流で落下した阿蘇大橋

 
↑2階建てアパート倒壊で12人が閉じ込められた
1階にいた学生さんが2人、隣のアパートでも1人が死亡
謹んでご冥福をお祈りします
↓東海大学農学部阿蘇キャンパス近くの学生用アパートが多数倒壊

倒壊したアパートの1階

南阿蘇村(損壊した4階建ての家)
車が持ち上げられ、投げ出されるほどの激しい揺れ(加速度)

 ↑南阿蘇村リゾートタウンの地表地震断層・地盤が上下に約1mずれ、側溝は左に約30cmずれている
↓地表地震断層の延長にあった家の庭
 

 
 16日の地震後阿蘇山小規模噴火

山肌に地震土砂災害の爪痕(南阿蘇村)

 
地震後発生した土石流(南阿蘇村立野新所地区)
土石流で家が押しつぶされ片島信夫さん(69)と妻の利栄子さん(61)が犠牲になった
地元の人は「集落上部にある九州電力黒川第一発電所の貯水槽損壊による土石流では」と話す
 中央部が土石流を受けた南阿蘇村立野・新所地区集落(右側上部に貯水槽がある)
 黒川の水を貯水槽まで引き、約250メートル下の発電設備までの落差によって発電する仕組の九州電力黒川第一発電所。九州電力によると4月14日の「前震」後の点検時は異常はなかったが、16日未明の本震後貯水槽の水位が低下。翌朝上空から確認したところ、貯水槽の外壁や水路が損壊、水が流出していたという。作業員が黒川からの取水を止めた午前9時半ごろまでに流出したとみられる水量は、約1万立方メートル(25mプールに換算し約20杯分)とみられる。1965年に水力発電所の耐震性にかかわる技術基準が省令で定められたが、黒川第一発電所の貯水槽はそれ以前につくられたため適用外という。貯水槽損壊・流失と土石流の因果関係は調査中。

家の下敷きになった人を捜索する救助隊(南阿蘇村立野地区)
(残念ながらご遺体で発見された) 

 連続大地震に怯え、家は損壊していないが車中泊をする人が多かった
 
 昼間は自宅で片付けなどして、夜になると駐車場に戻る人が多かった
(場所取りの容器が哀しく見える)

 

 益城町公民館前
室内が怖いと言って多くの人が屋外で寝た(周囲の住民から布団やソファーが提供された)
↑益城町役場(安全確認できず一時使用不能)

↑宇土市役所(損壊し使用不能) 
↑八代市役所・耐震性が低いとされ使用不能

 ↑八代市内で地震後火災発生78歳の女性死亡
 県警などによると、16日午前3時半すぎにアパート室内から出火
八代市内では16日午前1時25分の地震で震度6弱が観測され、その後も余震が続いていた
(出火原因等は不明)

 
↑一時震災ゴミが街中にあふれたが、神戸市清掃局など緊急支援隊により迅速に回収された
 
 震災ゴミ仮置き場はすぐにいっぱいになった


 

 地震後約5日間くらい、救援物資が避難所に中々届かないという声を多数聞いた
連続的に大きな地震が発生していたため、宅配業者などが業務を縮減したことも要因
そうした判断事業所としてもやむを得ないことだと思う
オスプレイも一部で活躍したが、災害はドローンの緊急輸送も考えるべきではないだろうか

 
パレット単位の救援物資 
 

 

 益城町総合体育館(アリーナは天井損壊で使用できず、避難受入は武道室のみ)
(4月15日はさほど混雑はしていなったが、16日の本震後足の踏み場もなくなった)

 
 

 
 
 
防災掲示板が各所に設置された 
 
防災掲示板
 

 
吉野家とすき屋は連日避難所で牛丼を無料でふるまった

 
 車中泊が集まるグランメッセ熊本で喜ばれたのは鍼灸師ボランティア
 ボランティアをしていたのは八代市「さくら鍼灸院」林田浩司院長
 林田院長は熊本地震直後から、車中泊の人たちをエコノミー症候群などから守ろうと、道路混雑の中数時間かけ八代市から通ってグランメッセ熊本などで治療ボランティアを行った。
 さらに林田院長は、後述する「養護老人ホーム・赤井の花へんろ」で困難に立ち向かっている被災職員たちの支援のため、毎月2回 友情ボランティアとして花へんろで継続治療を続けている。家を失い、避難所や仮設住宅で暮らす職員たち、生活再建の道のりは遠く厳しい。それでも高齢入所者の世話は一日も休むこともできず心身ともに疲れ果てていた。そんな時に来てくれた林田院長の親身な治療、そして悩みを諄々と聞いてもらうことで、徐々に元気を取り戻しつつある。そのお人柄と熱心な治療態度は職員たちから信頼され感謝されている。同じ時代同じ地域で暮らす仲間として、隠れた被災者たちを助け励ます林田院長。人間として、斯くありたいものである。この林田院長に崇高な使命感、限りなき惻隠の情、そして、漢(おとこ)のロマンを見た。日本は素晴らしい国である。

 大学サッカーチームトレーナーのボランティア

 
 南阿蘇村丘陵地帯にテント村


 阿蘇ミルク牧場も再開している(美味しい乳製品は通販でも買える

熊本名物市電も再開

 

 
益城町商工会青年部が集めた救援物資配布中

 
 商工会婦人部の千人ナベ(豚汁があっという間に売り切れた)

 
 あったかい汁物がご馳走

 喜ばれた新鮮野菜
(会津若松の野菜工場からリーフレタスの差し入れ)

養護老人ホーム・赤井の「花へんろ」

 益城町赤井にある養護老人ホーム「花へんろ」は、震度7に襲われたにもかかわらず平屋建てのせいか、全員無事で壁にひび割れなど一部損傷はあったものの被害としては比較的少なかった。しかし、群発的地震が続き停電、断水、物流が途絶えた中での介護は困難を極めた。しかも職員22人のうち約半数は全半壊など甚大な被害を受け、多くの職員が車中泊や避難所から通っていた。花へんろには90歳代4人を含む平均年齢81歳の入所者43人が暮らす。その命をつなぐために職員たちは必死で困難な介護を続けていた。(入所者/70歳~最高齢者96歳)
 地震発生後1週間目に訪問した時、玄関前に設置されていた仮設トイレはその日の午前中にようやく届いたものだという。車中泊などで満足な睡眠を得られず、飲料水、食料、尿取パッドなどの物資が欠乏し職員たちの疲労とストレスは極限に達していた。ついには「今日は何日か、食事はしたか、疲れているか」さえ分からないほどだったという。
 そんな時、救援物資として届けられたお尻ふきの箱(写真)に貼られた激励文(写真)に職員が目を留めた。そこには「頑張ってください」ではなく、「何事もなく行き着いた未来より、何かを乗り越えてたどり着いた未来の方が、良いに決まっている」とあった。これを見た職員たちは緊張の糸が切れたように号泣し涙が止まらなかったという。それまでは、今ある困難、問題など目の前のことを処理することだけでいっぱいいっぱいで、「未来」どころか明日のことさえ考えることもできなかった。
 それまで泣くことすら忘れていた職員(介護士、相談員)たちはその言葉に励まされ、まるで吹っ切れたようにさらに仕事に励むようになったという。仲間たちにこの話を伝えると、多くの人たちが施設長が提示してくれた「欲しいものリスト」の物資を届けるために奔走してくれた。本当にありがとうございました。
 その後、何度か花へんろに行っているが、行くたびに職員たちの表情が明るくなっているように感じる。しかし、笑顔で介護にあたる職員それぞれが自分の家のこと、家族のこと、生活のことなど抱えきれない重荷を背負っている。5月6日現在、今はもう物資は足りているようだが、施設と職員には今後も継続的支援が必要であることはまちがいない。「花へんろ」では下記のように義援金を募集しています。
・銀行名/肥後銀行行広安支店
・店番号/236
・口座/普通預金
・口座番号/214173
・口座名義/社会福祉法人 ましき苑 熊本地震義援金口座 理事長 犬飼邦明

★赤井「花へんろ」
・名称/社会福祉法人ましき苑 養護老人ホーム 花へんろ
・〒861-2221 熊本県上益城郡益城町赤井1800番地
・電話/096-286-2075 ・FAX/096-286-2199
・施設長/牛島英明(社会医療法人 ましき会 益城病院 相談役)
・モットー「人生は花を咲かせる長い旅、この出会いを大切に。私たちは、あなたの暮らしを伴にサポートします」

 犠牲者のご冥福と、被災者の一日も早い生活再建をお祈りします
一緒にがんばろう、熊本!

写真及び文章等は許可なく転載、複写はご遠慮願います/防災システム研究所合同会社