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命の笛

スマトラ沖地震津波災害(2004年12月26日)

(画像の無断転載、複製はご遠慮願います)

 2004年12月26日午前7時58分(インドネシア西部時間・日本時間午前9時58分)、インドネシア西部スマトラ島北西沖のインド洋を震源とするM9.0の地震が発生。この地震による揺れはスマトラ島バンダ・アチェ付近で震度5強〜震度6弱だったが、直後にインド洋を大津波(波高2〜10m)が襲った。津波はインドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマー、スリランカ、インド、モルディブ、ソマリア、ケニアなどに押し寄せた。この津波により死者約22万人、行方不明者7万7千人、負傷者13万人という大惨事に発展した。犠牲者のご冥福をお祈りし、被災者に心よりお見舞い申し上げます。山村武彦

タイ・プーケットに押し寄せる津波





山村武彦の津波防災三か条
1、「グラッときたら、津波警報」
 地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って直ちに高台に避難することです。津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。
2、「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」
 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。
3、遠くの避難場所より近くの高いビル」「車は使わず・遠くより高く」
 海岸付近にいて、高台まで避難できそうもないときは、ビルの2階以上に避難させてもらうことです。地域によっては海岸線にあるビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。車で避難するのは危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき、奥尻島では車で避難しようとした人たちが続出し、狭い道路は渋滞で車は立ち往生していいるときに津波に襲われ、車ごと波に飲み込まれ多くの人が犠牲になりました。「車は使わず・遠くより高く」を合言葉に近くのビルなどに避難すべきです。




犠牲者の死因は、破壊された建物の残骸や漂流物による打撲によるものも多い





ここは川ではなく道路、津波は海岸近くの道路や川を真っ先にさかのぼってくる
海岸近く(約2Km)の河川や道路周辺は、津波警戒区域






山村武彦の災害現地調査報告 


海辺の住宅街

冷蔵庫まで流される

沖合に流されたものか、津波に襲われると多くの行方不明者が出る。痛ましい限りである。

海岸から200mの住宅の壁に残された高さ約2mの津波襲来痕跡(タイ)

鉄道を津波が襲い、列車は横倒しになり乗客など約600人〜700人が犠牲になった(スリランカ)

筆者後部の警備艇は、湾内にいたが津波で数百メートル先の丘に打ち上げられた(タイ)

レストランの屋根を支えていた鉄筋コンクリート柱が津波で折れた。ここで日本人観光客13人を含む多くの人が流され犠牲になった
スリランカは震源地から千キロ以上離れていたため、地震の揺れは少なく、いきなり津波が襲ってきたという(ヤーラ国立公園)

津波災害後、各国の支援で急遽設置された津波警報装置(タイ・プーケット)

山村武彦の津波防災三か条
1、「グラッときたら、津波警報」
 地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸線にいたら、津波警報と思って直ちに高台に避難することです。津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。
2、「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」
 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。
3、遠くの避難場所より近くの高いビル」「車は使わず・遠くより高く」
 海岸付近にいて、高台まで避難できそうもないときは、ビルの2階以上に避難させてもらうことです。地域によっては海岸線にあるビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。車で避難するのは危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき、奥尻島では車で避難しようとした人たちが続出し、狭い道路は渋滞で車は立ち往生していいるときに津波に襲われ、車ごと波に飲み込まれ多くの人が犠牲になりました。「車は使わず・遠くより高く」を合言葉に近くのビルなどに避難すべきです。

津波の本当の怖さ
逃げなられないのはなぜ?
 史上最悪の犠牲者を出したスマトラ沖地震津波。多数の日本人観光客が犠牲になったプーケット島を襲った波高は、約3〜7mと推定されています。波打ち際で5mの波に巻き込まれたら逃げようがないだろうと誰でも容易に想像できます。しかし、海岸線から100mも離れた家や人が流されるのを映像で見ても、にわかに信じられないのが普通です。気づかない人はともかく、波が来るのが分かったら早く逃げればいいのに、なぜ逃げないのだろうと考えてしまいます。そう考える人の多くは、津波の本当の怖さを知らない人なのです。
 津波は海の深いところほどスピードが速くなります。深さ4000mで時速800km、2000mでも時速500kmという新幹線の数倍、ジェット機と同じスピードでやってきます。そして、陸に近づくにつれ海底が浅くなりますから、ジェット機の勢いで暴走してきた波はそのまま浅くなった海底に、乗り上げ激しく衝突します。浅瀬にぶつかった波は泥や石を猛烈に巻き込みながら上陸してきます。
 スマトラ沖地震のように南北1000kmにわたって海底が上下に約13mものずれを生じさせた地震は、壊れはじめから壊れ終わるまでに約3分以上はかかっていると思われます。つまり、ドミノ倒しのように次々に海底が大きく波打ち、その力で海水が大量に煽られることにより津波が発生します。発生した津波はビーム状に拡がり、文字通り波状的に時間差攻撃を仕掛けてくるのです。第1波の波が、陸に到達し急ブレーキがかかると急にスピードが落ちます。海底の深さ10mになると波のスピードは時速36kmになります。すると、続いて追いかけてきた第2波は、第1波に後ろから強い圧力を加え、勢いに乗って第1波にのしかかり乗り上げます。そして、その後ろからきた第3波は第2波に圧力をかけ乗り上げてきます。
 そうやって、階段状に高くなることを「段波」と呼びます。海底の形状にもよりますが、湾の奥に行くにしたがってそれは更に顕著になる傾向にあります。よく津波を経験した人は「第2波のほうが第1波より大きかった」と証言されます。それは後ろから押されてくる津波ほどエネルギーが高まっているからと考えられるのです。上陸した波のスピードは地面との摩擦と障害物によってスピードがやや落ちますが、それでも最初は陸上選手が100mを駆け抜けるほどのスピードがあります。ですから、海岸線に近いほど津波に追いつかれる率が高いのです。仮に津波に気づいて逃げ始めても、直線的に高台に避難できればいいのですが、海岸通りの多くは海岸線と並行して造られています。通りを迂回して高台に向かおうとすると、面で押し寄せてきた波に巻き込まれてしまうのです。縦波でなく横波と考えると良いと思います。ですから、逃げないのではなく、気がついたときには逃げられらないのが津波なのです。
2mの津波で木造家屋は流失
 陸に押し寄せた津波は、それだけのエネルギーを内包して人家を襲います。静かに水浸しになるのではなく力押しに密度の濃い泥水が、家を破壊するのです。通常2mの津波で木造家屋は破壊され、1mの津波で半壊するといわれます。そして、引いていくときは「引き波」といって、何かに引っ張られるように恐ろしい勢いで、陸上の建物、家財、人などすべてをさらっていきます。気象庁の出す津波警報で予想される波高さを1mと聞いて、軽く見るひとがいますが、津波は普通の溢水ではないのですから、避難勧告が出されたら直ちに避難すべきなのです。
海の上や船に乗っていたら
 船に乗っているときどうなるのかは、一九九三年に発生した北海道南西沖地震の時の興味深い証言が残されています。一番大きな揺れと津波に襲われた奥尻島周辺は、日本海でも海の幸の豊富なことで知られています。奥尻産と名前がつくだけで、市場の値が上がるといわれるくらいです。特に、ここの朝獲れイカソーメンは甘みがあり、とろけるようだと評判が高いところです。七月十二日午後十時十七分、突然M七.八の大きな地震が発生しました。その時、奥尻港や青苗港から出ていたイカ釣り船や夜釣り船が何隻も沖合に出ていました。地震が発生した瞬間「船底にゴツン,ゴツンという衝撃を感じたさ」と証言してくれたのは永年漁師を生業とする高瀬さんです。それが地震が発生したときに伝わる衝撃波だとは思ってもみなかったそうです。津波はどうでしたかと聞くと、高瀬さんは「うん・・・それがネ、全く気づかなかったのさ、気づいていれば皆に知らせてやれたものを」と面目なさそうに言うのでした。しかし、それは無理のない話なのです。津波の波長は平均約十Kmとたいへん長いのです。ですから、仮に十mの津波といっても一万分の十程度の潮位しか感じないはずです。沖に出ている場合、船には津波の影響はほとんどないのです。よく、津波により船舶が数千隻破壊されたなどと報道されますが、あれは、港などに係留されていた船舶が被害を受けた結果なのです。つまり、水深が深い洋上であれば船に被害は出ませんが、浅いところにいれば被害を出すことになります。ですから、津波警報が発令された場合、湾内の船を沖合いに移動させれば難を免れることになるのです
 タイ・プーケットでも沖合いまで行っていたサーファーは大丈夫でしたが、湾の中の浅瀬にいたサーファーは津波に巻き込まれて犠牲になったそうです。こうした知識を学んだ上でサーフィンを楽しむといいと思います。
文責:防災アドバイザー山村武彦 
なお、本サイトに掲載した震源データや地震メカニズムについては速報ベースの推定値です。正確な数値は専門家や研究機関による検証結果をご参照くださるようお願い申し上げます。

史上最悪の津波災害(死者22万人を超える・2005年1月28日10時更新)
犠牲者のご冥福とご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。
 この地震により大規模な津波が発生。インドネシアアチェ州、スリランカ、インド、タイ、マレーシアなどインド洋沿岸諸国でこれまでに22万人を超える死者と150万人の避難者を出す最悪の津波大災害となった。外務省によると、スリランカとタイで邦人28人の死亡が確認され、まだ多くの邦人が行方不明となっている、一部は津波に流されたものと見られている。世界の津波災害史上最大最悪の災害に発展した。(これまで世界の津波災害史上最悪の津波は、1883年ジャパ島クラカトウ火山爆発に伴う津波で、そのときの死者数は36,000人であった)(非公式には526年、トルコのアンティオークで地震と津波で25万人死亡が最大の死者といわれていた)ちなみに日本最悪の津波は1896年三陸地方を襲った明治三陸地震津波で、死者は22,066人である。津波の場合犠牲者が遠く流されており行方不明者を確認するのが困難となる場合が多い。全ての被害が判明するまで相当の日数がかかるとみられるが、各国の合計最終死者数は35万人を超える世界史上最悪の災害に発展する可能性がある。(世界最悪の地震は、1976年7月・中国河北省・唐山地震・死者242,000人、日本では1923年9月・関東大震災・142,000人の死者・行方不明))
喜び事は招かれてから行け、悲しみ事は招かれずとも早く行け
 日本政府は国際緊急援助隊を派遣するほか、5億ドル(約510億円)の無償援助を表明し、自衛隊も1000人規模の緊急災害援助隊をこれから派遣するというが、これほどの災害に対し、あまりにも遅く規模も小さ過ぎるのではないだろうか。すでにアメリカは12500人のこれまでにない態勢をとり、インド洋の空母サンフランシスコをベースに機動力を発揮して八面六臂の活動を展開している。数百万人の被災者に対してアジアのリーダーを自認する小泉首相の支援スケールは小さく、しかも出遅れ感は否めない。また、今回も顔の見えない金だけの心に響かない災害支援になってしまうのか。
観測史上4番目の巨大地震
この地震はNEIC(国際地震インフォメーションセンター)に記録された地震としては観測史上4番目の巨大地震といわれている。破壊された断層面積量などから推定しエネルギーの大きさはM9.0で阪神大震災(M6.9)の約1600倍と見られている。震源となった地域はオーストラリアプレートとユーラシアプレートがせめぎあっている場所(下記地図のFault line)で過去にも大きな地震を起こしているところである。深さ32Kmで距離にして約1,000Kmも破壊した巨大地震は、数千キロも離れたインド洋に面したアフリカ(ケニア、ソマリアなど)まで津波を襲来させた。揺れていた時間(壊れていた時間)は約200秒。東京大学地震研究所の解析によると、震源域は南北に約1000Km。スマトラ沖地震を起こした断層は、長さ約560Km、幅約150Km、最大ずれ幅約13.9mという大きなものである。1993年の北海道南西沖地震で破壊された断層は長さ100Km、幅50Km、最大ずれ幅2.8mと比較しても、その巨大さが分かる。(ちなみに世界一の巨大地震は1960年に発生したチリ沖地震で、マグニチュード9.5・史上最大の犠牲者を出した地震は1976年の中国唐山地震で24万人が死亡した)
津波災害死者の主な死因は打撲
過去、多くの津波災害調査をしてきたが、津波による被災者の死因はほとんどが溺死でなく打撲である。岩や崩壊した家の残骸などに巻き込まれた結果と推察されている。それだけ遺体の損傷が激しく、そして、所持品や衣服が流されてしまうため身元確認が困難となる場合が多い。ご遺族の気持ちを考えると胸が締め付けられる思いがするが、身元確認には歯型や髪の毛などによるDNA検査が必要になる。
日本で発生が懸念されている東海・東南海・南海地震は、今回の地震に匹敵する可能性のあるM8.6である。その場合24,700人の犠牲者が出ると見られている。
行方不明の遺体が揚がらない場合も多い
今回のように震源の遠い場合及び大規模津波の場合は遺体さえ揚がらないことが多い。それだけ遠くまで流されてしまうのである。時には数千キロメートルも離れた場所で遺体が発見されることもある。
1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸津波地震では、地震発生から30分〜1時間経過した頃、北海道、三陸沿岸に大津波が襲来し、大津波は6〜7分から30分ほどの周期で数回から10数回にわたって押し寄せ、各地で大きな被害をだした。流失船舶7,303隻、流失家屋4,972戸、死者行方不明者3,064人という大惨事に発展した。特に死者の内、半数以上の1,542人が行方不明だったという記録もある。
タイ政府・津波被害者情報検索サイト
衣食足りて礼節(安全)を知る
毎日の生活に追われている地域では、安全に対する備えは後回しになる。災害はそうした地域を容赦なく襲う。防災先進国の日本は、惰性のばら撒きODAを直ちに打ち切り、
開発途上国に安全をキーワードにした防災ノウハウをこそ支援すべきである。モルディブのようにさんご礁を保護するためであった日本からのODAによる防潮堤は、今回の津波災害から多くの住民を守りぬいた。それを知った地元の人は、日本人に深い感謝の意を表していた。本当の人道支援をここに見る思いがする。

チリ地震津波を想起させる災害
 インドネシアでは1996年にも東方のイリアンジア州ビアク島沖でM8の地震が発生、その津波で多くの被害を出している。その時は日本にも津波が押し寄せ父島で1mの津波を観測した。また、1992年にはインドネシア・フローレス島で沖合いの地震による津波で約3000人が死亡している。このようにインドネシアでも太平洋側はしばしば津波襲来を経験しているので、地震後の津波に対する警戒心はあった。しかし、インド洋側は最近津波災害が少なかったため。この地域には津波警報システムが整備されていなかった。そしてインド洋各国の地震・津波通報協定が結ばれていなかった。つまり、スリランカやインドでは多少の揺れを感じはしたが、まさか遠隔地地震で津波が発生するとは思っていなかった。観光客など海岸にいた人は津波警報もなく、いきなり津波に襲われ被害を受けてしまったのである。それは、1960年の「チリ地震津波災害」を思い出す。18000Km離れた地球の裏側チリ沖で発生した世界最大のM9.5の地震。その地震の22.5時間後に襲った津波で日本の三陸地方では約200人が死亡または行方不明になった。日本に津波が襲う数時間前、津波はハワイを襲っていた。その情報はハワイから日本にも届いていたにもかかわらず、まさか日本までは津波はこないだろうと思っていた防災関係者は、津波警報を出さなかった。犠牲者は一般市民であった。何の前触れもなく平和な海が突然牙をむき、罪もない人々が皆さらわれていったのである。津波対策に必要なのは、防潮堤を高くすることだけではなく、迅速な情報公開であり、住民の防災意識を高め早期自主避難できるよう防災民度を上げることである。本サイト文責:
防災アドバイザー山村武彦



 

 

  

 

 

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