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JR福知山線脱線事故/現地調査と危機管理的考察
伊丹駅から事故現場まで歩いてみて・・・
 救助作業終了が伝えられた4月29日から2日間、私は自分の足で伊丹駅から事故現場までの線路沿い約5Kmを歩いてみました。途中周囲の住民や利用者たちは「あの電車はいつか大事故を起こすと思っていた」と異口同音に言っていました。
 伊丹駅で40m(60mとの意見も多数)オーバーランさせてしまった運転士(23歳)は、平常心を失いどんな思いでハンドルを握っていたのでしょうか、
 いつもと違う異常なスピード、激しい揺れ、異様な電車の動きに対し、為すすべを知らない乗客はさぞ怖かったでしょう、そして衝撃、恐怖、痛み、苦しみは想像を絶するものであったでしょう・・・・事故は運転士だけの責任ではありません。何かが根本的に間違っていたのです。歩きながら、私は後から後からあふれる涙を止めることができませんでした。それが怒りなのか哀しみなのか自分でも分かりません。ただひとつだけ分かっていることは、尊い多くの命と遺族の哀しみを決して無にしてはいけないこと、そのために何をすべきかを明確にすることです。会社側の責任の明確化と同時に、事故原因を冷静に検証し二度とこうした事故を起こさせないための再発防止対策こそが、犠牲者の霊を慰めるせめてもの手向けではないかと思いました。
防災・危機管理アドバイザー:山村武彦
捨てたものではない!日本人
 事故発生直後、近隣の住民、工場、市場など多くの人々が現場に駆けつけ必死の救助活動を展開した。特に激突したマンションから10mほど道を隔てたところに西門がある日本スピンドル製造株式会社は、異常な衝突音に気づいた社員20名がすぐに現場に急行し、救出作業を開始した。知らせを受け、工場から50mのところの事故現場を見た齊藤十内社長は、工場に取って返し直ちに全ての操業停止を命令、社員(約270名)を食堂に集め、全力を挙げて救助作業に当たるように指示する。社員達(薄い水色の作業着の人たち)は、手に手にはしご、消火器、救急箱、バールやカッターなどの工具や道具をもって現場に急行した。そして、助けを求め、うめき声を上げる人たちを励まし励まししながら確実に救出していった。負傷者は次々と助け出され、電車の座席などに横たえられ応急手当を受けた。当初、電車が折り重なっていて主要現場と目されたマンション反対側が注目されていたためか、負傷者が集中したマンション西側にはなかなか救急車が到着しなかった。そこで、日本スピンドルの社員達は、助け出した負傷者に応急手当をした後、自分たちのマイカーや協力工場の大型トラック(下の写真)など計15台で病院にピストン輸送した。その間、病院・警察・消防などに「事故発生、負傷者多数」を告げ、負傷者には「がんばれ!」「きっと助かる、大丈夫」などと励まし、声をかけ続け130人以上を救助した。その後消防、警察などレスキュー隊が駆けつけた後は、防災関係者の足手まといになっていはいけないと社員を引き上げさせたという。見事な危機対応、見事な出処進退の采配である。未曾有の大惨事を前にやり場のない怒りと哀しみの中で、彼らの活躍によって少しだけ救われたような気がした。
 
武士道精神をみた
「事故を見たら、誰だって同じことをしたと思うよ」と、当然のことと語る日本スピンドルの社員達(左の写真)に一片の気負いもみられない。ほかにも、尼崎市中央卸売市場、平尾自動車工業、尼崎タクシーの社員たちや近隣住民たちが大活躍し、多くの負傷者たちが救助された。みんな誰に頼まれたわけではなく、苦しむ人たちを前にやむにやまれず率先して行動した結果、多くの命が救われたのである。
 「阪神・淡路大震災の教訓が生きた行動」などと、訳知り顔に言う人がいるが、そんな安っぽい言葉で片付けて欲しくない。大震災を経験してもしなくても彼らはきっと同じ行動を起こしたに違いない。それは高潔なヒューマニズムの実践であり、日本人のDNAに息づく武士道精神(美学)そのものではないだろうか。
 日本には古来より武士だけでなく各階層の心ある人たちの精神的支柱として、心に刻み込まれたゆかしい武士道精神があった。それは仏教、神道、儒教などの根本精神を生かした、世界にもまれな「知行合一」の道徳律であった。弱いものを慮り労わる「武士の情け」、困窮者を看過せぬ「惻隠の情」があり、困難に陥っている人たちに対し身を呈して助力する「義を見てせざるは勇なきなり」それら「仁・義・礼・智・信・慈悲・勇・徳」があった。困難に怯むことや危機に背を向けることこそ「恥」なのである。忘れがちな人間としての崇高なモラルと良心を、そして人間の品格とは、正義とは、を改めて教えてもらった気がする。
 本来なら連休で休みのはずが、事故のために遅れた生産を取り戻すため、休日出勤してきた日本スピンドル社員達、その表情は五月の空のように爽やかだった。私は現場をまわって事故周辺の聞き取り調査をして、やりきれない気持ちでいっぱいだったが、彼らと会い彼らの話を聞いてほっとした。まだまだ、日本は捨てたものではない。こんなに熱い気持ちの隣人が多数いたのだ。同じ時代を生きる仲間として、同じ思いの人たちを代表し、献身的にそして勇敢に困難に対峙した彼らに、満腔の感謝と敬意を込め「ご苦労様。そして・・・ありがとう!」と称えたい。
 
計り知れない乗客とご遺族の無念
 2005年4月25日午前9時18分、JR西日本福知山線宝塚駅9時3分発の同志社前駅行き快速電車(7輌編成)が尼崎駅手前で未曾有の死傷者を出す脱線事故を起こしました。事故による犠牲者のご冥福をお祈りし、ご遺族、重軽傷者、そのご家族の皆様方、激突されたマンションの住人や周辺地域の皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。事故はかかわったすべての人を一瞬にして悲しみや不幸のどん底に陥れてしまいます。命を奪われた犠牲者とご遺族の無念は計り知れません。「安全モラル」「危機管理意識」というきれいごとではなく、もっともっと「命」を運ぶ業務の責任・使命、その基本的重大性の認識と、二度とこうした事故を起こさないために客観的評価可能な多重防護体制が今強く求められています。
防災・危機管理アドバイザー:山村武彦福知山線脱線事故の教訓
死者107人・重軽傷者460人の大惨事を起こした魔のカーブと脱線車両(2005.4.29山村撮影)
線路脇の制限時速70Km標識が何かを物語っているようだ(車両は検証のため下り線路に移動)
    
伊丹から出た快速電車は猪名寺、塚口を通過したあと尼崎駅に至る前のカーブで脱線
  
40m(60m)オーバーランし、慌ててバックしたといわれる伊丹駅とホーム。1分30秒遅れて同駅を出発
  
05年4月25日9時18分脱線・電車が激突したマンション(2005.4.29山村撮影)
衝突されたマンションと脱線衝突した車両の後部3輌(山村撮影)
上図左側電柱(線路から約2m)に激しく損傷が見られる・脱線して傾いた電車上部がぶつかったものか(山村撮影)
脱線車両による電柱破損信号で急停車し、間一髪難を逃れた下り線(対向車線)の特急と後続電車(山村撮影)

福知山線脱線事故の教訓



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